U理論と止観瞑想と発菩提心

 今年ある女性から年賀状を頂きました。おおよそ今までは、(私との関わりの中では)仏教に由来する四字熟語を日常会話の中で使うことなどあまり聞かない人だったのですが、「諸行無常!」「諸法無我!」と感嘆符「!(exclamation mark)」付きで書かれてありました。
 
 私自身、仏教の三法印四法印である「諸行無常」「諸法無我」を長い間瞑想のテーマにしてきましたが、「!」をつけることはありませんでした。
 
 私の勝手な印象ですが、禅寺で座禅中、警策を頂いた感じになりました。
 
 彼女は現在60歳手前で、趣味やスポーツに頑張ってきた人です。
 
 あくまで私ごとですが、「諸行無常」は若いころは、自分自身を奮い立たせる言葉でしたが、歳を重ね、日常の中に無常を感じることが多くなり、ある程度の諦観、軽安(きょうあん)が得られると、もうこのまま死んでしまってもいいやといった心境になってしまったりします。
 
 ですので、菩提心を伴わない瞑想は、エゴイズムに陥りながら、気づかなかったりします。大きな無常の波にのまれると、身はそのままで、心はそのまま流れてしまいそうになります。
 
 でも、現実的に、生きていかねばなりません。
 私は、一旦仏教を離れ、ゲッセマネの祈りを拠り所にしました。
 
 幼いころ、母の手にひかれ、川へ洗濯のすすぎに行きました。底石が見えるほど透き通った水、水面の光、現れては消える渦、遊びに来る小鳥たち、川岸にある笹で笹船を創り流しました。河畔林。それに続く田圃。そして雑木林。
 
 今では、そこが産業廃土の捨て場になってしまいましたが、幼いころのその風景は、いまも私のパラダイスです。無常の中に永遠があります。