奪われても、手放しても最期に残るもの

真面目な仏教徒なら「業」と言い切るかもしれない
 
時々、突然なにかを、あるいはすべてを手放さなければならないような状況を
想像体験する
 
まずは抵抗する
様々な予定というものを計画していて
計画を手放すということは苦しい
 
思考実験しなくとも、こういうことは人生によくある
 
青と思っていた信号が赤に変わるとか、
晴れと思っていたのに雨が降るとか
突然の用事がやってくるとか
逆に、リストラにあうとか、会社が倒産するとか
病気になるとか、怪我をする、事故にあうとか
 
こういうことについては、割と手放すことの心の準備をしてきた
 
なかなか手放せないのは、自分の命とかプライド、信念とかいったもの
 
私の命、信念とて、二度の臨死体験で、最後には手放すしかないことは分かっている
手放せば楽になるだろうと、勝手に思い込んでいる
 
手放せば、その時の状況で、再び与え返してくれたりする
奪おうとしても奪われることのないこともある
 
最期まで残るのは、仏教徒の言うように「業」かもしれない
 
失っても、赦されるなら、最初からまたやり直すことができる という思い
つまり、私にとっては信仰がのこる