父なき時代の中で、ある人々は、その解決策として、ナショナリズムの復権を言う。
母なる大地ならず、父なる?(仮構としての)国民国家への帰属。
どういうわけか、そのある人々のうちのまたある人々は
愛郷を否定する
愛郷と国民国家への帰属は対立するのだろうか?
私にはよくわからない。
逆に、私は次のような取り組みを提案する
父母の誕生日を知ること、祖父母の誕生日を知ること、
曾祖父母の誕生日を知ること
そして、さらにそれぞれが20歳だったときの
世相の大事件を知ること
果物を好きになりなさい しかし、林檎や蜜柑は好きになってはいけない
という主張はよくわからない
ナショリズムという果物を否定する気持ちはない
ナショナリズムという果物を好きになるには、父母、祖父母、曾祖父母という
林檎や梨や柿を実際に味わうことだと思う