父なき時代 父なき世代

父なき時代
 
「父なき時代」という言葉で検索すれば、日本で撮られたドキュメンタリー映画ばかりが出てくるが、私が「父なき世代」という言葉を知ったのは「評伝 アンドレ・マルロウ」という本からだ。以前から、心理学世界では、日本は父親不在の時代だと言う人がいたが、マルローの本の中でいわれていることは、もっと大きな時代流れの中でいわれる言葉だ。
 
 単に両親が不仲であったとか、離婚したとかということだけでなく、自分の祖父祖母、曽祖父母の名前と誕生日と、その青春時代にあった大きな出来事を語れる人がどれくらいいるだろうか?
 
 父なき時代は、「(私の)死」を個人で引き受ける時代でもある。
 
 一度目、20歳代でタイで死にかけた時、死んだ方がましだと感じた激しい痛みがピタリと止まり、ああ死ぬんだなあと思いつつ、やさしく大地に包まれた感じになった。
 
 二度目数年前、出血多量でヘモグロビン値が正常の三分の一になった時には、自分の中に生きようとする大きな力を感じた。
 
 アンドレ・マルロー氏が、熊野を訪れたことは知ってはいたが、本を読む気まではなかった。しかし最近2000年もの間様々な逆境に耐えてきたユダヤの人々の宗教のことが気になり、それが易に通じることがあることを知り、再び、桜沢如一氏の本を読み始め、そこでアンドレ・マルロー氏が、桜沢氏の理解者であったことを知った。
 
 桜沢氏ルーツは熊野にある。桜沢氏も父なき暮らしであった。アンドレ・マルロー氏の場合もそうであった。私の場合、両親は離婚しなかったが、夕方家に帰るのが嫌な家庭であった。
 
 家庭環境が、今の私に大きく影響したことを感じるが、とても感謝している。