石とある(生る)

 屋久島という名前を聞いて、私が先ず思い浮かべるのは、「山尾三省さん」です。今から約40数年前、私は、高校を卒業し、京都市で浪人生となりました。そこで玄米正食、桜沢如一を知り、そして部族、山尾三省氏、山田塊也氏の存在を知りました。両人の書いた文章が載っている思想の科学のバックナンバーを求めて、古本屋さんを渡り歩きました。進む道が見えずにいた私にとって、両人の存在は光でした。翌年、大学は受かったものの、大学へは行かず、リュックを担いで旅に出ました。

 その後、海外放浪、二度の臨死体験とか漁師生活とか、脱サラとか色々ありましたが、それはさておき、三省さんが熊野を訪れた際には、佐野の海岸で焚火を囲んで詩の朗読を聞かせていただきました。

三省さんは、2001年8月28日に亡くなりました。62歳。
 
 屋久島と三省さんといえば、これまでは水とか森のイメージがあったのですが、最近は「石」が加わりました。
「ジョーがくれた石」という表題の本がありますし、「神羅万象の中へ」「アニミズムという希望」「日月灯明如来の贈りもの―仏教再生のために」などの著書の中に、石について書かれた詩があります。

 三省さんは、旅に出るとき、屋久島の花崗岩を持って出たそうです。
 「石の時」という詩には
<その石は少なくとも 地上千五百万年の時間を秘めていることを伝えて、神話力のある人にはプレゼントすることにする>
<それを物語として受け止めるか、ただの小石として見過ごしていくかはもとより各人の勝手だが、ぼくは生き方として、そこに物語を見、さらには神話をさえ読むことを好むのである>とあります。

 南紀熊野ジオパークのジオガイドになって、紀伊半島の成り立ちを知り、そしてそれは屋久島とつながっていることを最近知りました。紀伊半島は、フィリピン海プレートユーラシア大陸プレートの下に潜り込むとき、海や海溝にたまって出来た地層が押し上げられ、更にそこへマグマが貫入して冷え固まって出来上がりました。
 屋久島もまた堆積岩の地層へマグマが貫入してできています。そのマグマが冷えて固まったのが、屋久花崗岩です。(屋久島の地質より)