NPO熊野みんなの家の神秘学研究 密教(仏教)・カバラ・易を中心と

NPO熊野みんなの家の神秘学研究 密教(仏教)・カバラ・易を中心として

 いつの時代であっても、人には仏教で言う生老病死の四苦があります。さらに加えて、貧富の格差があったり、思っても見なかった天災に遭遇することがあります。

 思い通りになるわけでない私たちの住む世界。人は何のために生きるのか、どう生きるのかと、文明社会の発生以来、人は考えてきました。
 
 その問いかけは、哲学、神学、科学などを生みました。

 そういった「学」は、私たちの感覚や言葉を基に作られています。ところが、それらの「学」自身がいずれも、私たちの感覚や言葉の限界について述べています。
 
 私たちの感覚(その精密・拡大・延長である科学技術機器)は、世界の全てを捉えきれるわけではありませんし、言葉も全てを言い表すことができる訳ではありません。

 そこで生まれたのが、「神秘学」「詩学」です。

 日常の感覚では捉えがたく、言い表しがたいことを、感じ、表そうとするのが「神秘学」「詩学」です。

 日常の感覚では捉えがたいことを、捉えようとして生まれたのが「止観瞑想」をはじめとする瞑想です。

 NPO熊野みんなの家では、これまで心理学(科学)と瞑想の講座を続けてきましたが、回を重ねるにつれ、「神秘学」に近づいてきました。

 個人の真摯な探求に裏づけされた智慧のネットワークを形成したく、ここに神秘学研究への参加を呼びかけます。

NPO熊野みんなの家 世話役 阪口圭一 090−6987−6679 那智勝浦町市野々3987

★☆★ なぜ、密教カバラ、易か?

★私と易・無双原理(古代中国の神秘学)
 私は1954年生まれです。中学校三年の時に、東大闘争をテレビで見ながら受験勉強しました。その3年後、同じくテレビであさま山荘事件の中継を見ながら受験勉強をしました。浪人し、京都の予備校へ行きました。その予備校で変人(青年)に出会いました。毎日玄米おにぎりを持参し、登校してくる人に玄米正食を勧めるのです。「玄米正食を実行すると、体質や性格が変わる」「玄米菜食に切り替えると、肉食よりも7倍の人口を養える」などと語るのです。 健康食としてでなく、自分と世界に革命を起こす方法として語ることに興味を覚え、彼を通して、桜沢如一の「易・無双原理」「宇宙の秩序」などの著作と具体的実践としての玄米正食を知りました。そしてショックを受けました。そのショックというのは、著作を読むまで自分は日本人、東洋人と思って生きてきたのですが、中味、精神は西洋人である、と感じたことです。自分は東洋思想を知らない、理解していないと。 
初めての都会暮らしで、自炊はしていても、腹を満たすだけの食事をしていたのが、玄米を食べ始めると、大地と再びつながった感じがしました。 当時は、ベトナム戦争も続いており、水俣病をはじめとする公害問題も大きく取り上げられていました。しかし、あさま山荘事件以後どう生き、どう世の中を変えていっていいのかを求めていた時だったので、受験勉強をせず玄米正食を実行している人々の世界観を学ぶべく訪ね歩き始めました。

☆佛教のこと
 玄米正食を勧める彼とある禅寺を訪ねたときのことです。禅師から「仏教はどのような教えを説いているか知っていますか?」と尋ねられました。 幼い頃からお葬式でお坊さんとは馴染みがあっても、どのような教えか返事することができませんでした。すると「四聖諦八正道ですよ。高校の倫理の教科書に書いてあります。」と教えられました。
 その経験から数年後、やはり熊野で変人といわれている人に会いに行き、その人から、増谷文雄氏の原始仏教に関する著作を教わりました。 そしてそのまま彼のシイタケ栽培を手伝うことになり、しばらく山暮らしをしました。そこで、原始仏教や縁起・縁生、四聖諦、空、を学びました。
 
 空・十法界について
 宮沢賢治さんは、生涯2冊の本を自費出版しました。しかし、あまり注目されませんでした。
 春と修羅の序に「私といふ現象は 仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です。」とあります。

 空とは、幻であるとか、虚しいということではなく、現象であるという表現のほうがふさわしいと思います。仏教用語に、有、空、仮、中という言葉があります。有とは、言葉でとらえた世界を、そのまま実体の集まりとして見ることです。空とは、実体はない(縁起・現象する)という見方です。仮とは、実体はないけれど、日常の感覚としては、まるで実体として存在するかの如くみえるという観方です。中は、空と仮の二重性、バランスを持った見方です。 二重性とは、色即是空空即是色やものことの階層構造、二元的一元論、無境界(静と動、正常と異常、植物と動物、生と死)とも言えます。

カバラのこと
 易や原始仏教に魅かれていた時、キリスト教をはじめ西洋社会の思想にはあまり関心を持てませんでした。そんな中、アドラー心理学を通して、「科学とは何か」「哲学とは何か」「言語学とは何か」を一から問い直す機会を得ました。止観瞑想も教わりました。20年余り学ぶ中で、 フロイト(無意識)、アドラー(責任、共同体感覚)、フランクル(それでも人生にイエスという)、マズロー(欲求の五段階説)、ブーバー(我と汝・対話、疎外)、フェルデンクライス、マルクス(疎外論)などその思想を生み出している土壌があるのではと思うようになり、それが古代のヘブライ文化なのではと思うようになりました。
 そんな中で、小田垣雅也さんの「二重性の神学」を知り、カバラにいたりました。

 キリスト教の十字、仏教の鉤十字、ヘブライ六芒星(ダビデの星)は、いずれも陰陽二元的一元論(二重性・階層性)を象徴していると思います。


実践構想
〇止観瞑想の実習 ブラインドウォーク 山中彷徨 その体験の分かち合い
〇各自の瞑想体験に基づく文献読解 (知識量を増やすための読解は行いません。)