理性と科学とメタ心理学

 私の仕事場は、小学校の通学路に面しています。それで、小学生と語る機会がこれまで多くありました。もうすぐクリスマスですが、保護者の人々や子どもたちと話をしてみると、サンタクロースの存在を信じているかいないかの境目が、小学校3.4年生のあたりにあるように思います。
小学校2年生だと、殆どの子がサンタクロースの存在を信じているのではないでしょうか。
   
 さて今日は、そんな小学校2年生の女子のお話です。これは、彼女の母親から聞きました。
   
 お母さんによると、「悪夢ちゃん」というテレビ番組があるそうです。私は、殆どテレビを見ないので、同番組のことは知りませんでした。話によると、塾に通っている小学生の女の子がいて、ある日熟に迎えに来る人がいつもの時間に来なくて、その帰り道の途中で、女の子はアザラシ(の中から出てきた女性)に誘拐されるのだそうです。その女の子以外にも、何人もの子どもが神隠しにあっていて行方不明になっているという内容だそうです。その場面を見て以来、その小学校2年生の女の子も、熟へのお迎えをとても気にするようになり、いつもの時間より遅くなるととても怖がるようになったそうなのです。お母さんはどうしたら怖がらなくなるでしょう、と話されました。
    
 あなたの子どもさんがもしそのように怖がったら、あなたはどうしますか?
    
 大人の理性から見れば、テレビドラマは架空の出来事です。しかし、小学校2年生にとっては、テレビドラマの中の出来事は架空の出来事ではないのでしょう。
  どう接するかは、色々考えられるでしょう。
     
 どう接するにしても、小さな出来事、関わりの中にも、そこにはその子、その子の家族の人間観や世界観が関わってくることでしょう。それは、その地域やその時代の影響も受けていることでしょう。小学生2年生は、2年生なりに時代背景を背負っています。
     
もし、「理性」を主な媒介として解決しようとするのならば、小学2年生の理性と感性にうったえ、わかるものでなくてはなりません。
   
西欧では、17世紀から18世紀は、啓蒙の時代といわれました。人間にはそれぞれ普遍的な理性(性善説的な良心)が宿っていて、この理性を以て世界の根本法則を知ることができ、その法則との合理性に基づいて行動すれば、人間のあらゆる課題が解決されるであろうと考えました。
    
この啓蒙思想は、科学の発展を産み、市民革命ののち国民国家を誕生させました。しかし、20世紀が「戦争の世紀」といわれたように、科学技術の発展が一方では、環境破壊につながったように、人間の課題を解決するには至りませんでした。
    
それでも、私達の多くはやはり「理性」と「科学」に対して深い盲信を持っているように思います。
 
「客観」という言葉を深く省察することなしに「客観」という言葉を使い、自分・人間の理性を通して、対象として観察した自然(人間を含めて)を、ありのままの自然(人間を含めて)と思い込んでいたりします。
観察すれば、自然(人間を含めて)についての知識が増えるだろうけど、それはさらに深い扉を開く鍵の一つだと思います。

      
「怒り」に関して言えば、理性によって怒りを制御することはとても難しく、むしろ怒りや暴力の正当性を説明することの方が得意のように思っています。