自力と他力 白楽天と道林禅師 出家と出陣

<出家と出陣>
日曜の夜に、NHK大河ドラマが放映されています。私個人の印象なのですが、私の少年期は、日本の高度成長期と重なっていて、NHKだけに限らず、その当時に見た大河ドラマの主人公、織田信長豊臣秀吉は、その時代の風潮を反映していたように思います。主人公は、逆境の中から、その個性、奇抜なアイデア、先見性、情報力によって、他を抜きんでて成功し、支配者となります。

織田信長が登場するドラマでは、必ずと言っていいほど、桶狭間の戦いの出陣の前に、信長が舞を舞う場面がありました。一般には能を舞うと紹介されていたりしますが、信長が待っていた舞は、能ではなく、幸若舞という舞です。

此時、信長敦盛の舞を遊ばし候。人間五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて卸出陣なさる。-『信長公記

この舞の題名は、「敦盛」といいます。1184年、須磨浦一の谷の戦いで、熊谷直実は息子と同じ年、若干16歳の敦盛を討ちます。そのことがきっかけとなり、直実は出家します。「人間五十年〜滅せぬ者のあるべきか」とは、直実の言葉です。
 
 諸行無常を感じて、直実は出家し、織田信長は出陣します。
 
 人は、世界の無常を感じたからといって、出家するとは限りません。執着が離れるとは限りません。むしろ、無常と感じるがゆえに、執着が深まる場合もあるのではないでしょうか?

<自力と他力>
お隣中国の話です。
時代は、唐の時代。今から約千年以上前の時代です。唐は当時世界最高の文明国でした。白居易(白楽天772〜846)といえば、知る人ぞ知る、詩人で、日本の平安朝文化にも多大な影響を与えたといわれています(広辞苑)。白居易は、官吏でもありました。
 
50歳の時、杭州の知事として赴任し、西湖の北、秦望山に行きます。道林禅師に会うためです。道林禅師は、松の木の枝に板を渡し、そこで暮らし、座禅をしていました。それで、鳥窠禅師とも言われていました。

白居易は、松の木の上にいる道林禅師に言います。
「そんな高い所にいては、危ないですよ」
道林禅師は返事します「危ないのはそっちの方だよ。仏教を知らず、心の定まらぬ者は、煩悩の火が燃えていて、地上にいても危ない」
そこで、白居易は質問を変えます。「仏法の大意如何に?」
道林禅師は「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教(ありとある悪を作さず ありとある善きことは身をもって行い おのれのこころをきよめん これ諸仏のみ教えなり)」と、七仏通誡偈を述べます。
楽天は半ばあきれて「そんなことは三つ童子も知っています」と返事します。
道林禅師は、「三歳の童子これを知るといえども、八十の老翁なおこれを行うこと能わず」と答えます。(京都、祇園祭には、この白楽天山があるそうです。)
 
自力と他力は、同列ではなく
自力の果てに、自力を超えて、他力の恩寵を知るのでしょう