危険な年 我ら何を為すべきか?

危険な年 我ら何を為すべきか?

「危険な年」(The Year of Living Dangerously C・J・コッシュ原作 ピーター・ウィアー監督)というオーストラリア映画(1982)を見ました。舞台は、1965年のスカルノ政権末期のインドネシアです。
 映画の一シーンとして、貧民街が出てきます。そこでルカ伝3章10節「われら何を為すべきか?」ということについて語られます。
私自身、今から約30数年前、「私は何を為すべきか」を考えたくて、国鉄を退職し東南アジアへ出かけました。ベトナム戦争については、サイゴン陥落の後ですが、その後カンボジア戦争が続き、国内では水俣を代表する公害が問題になっていました。行ったのは、バリ島で、そこには貧民街はありませんでしたが、日本人というパスポートを捨ててしまいたい自分と、捨てられない自分がいて、葛藤のままタイへ行き、そこで赤痢になって死にかけ、死ぬならば那智の滝の水の流れるところでという思いで、命からがら日本に戻ってきました。

 1965年は、ベトナムでは北爆が始まった年で、オーストラリアもベトナム派兵したそうです。その当時と比べると、物質量的には豊かになったと思います。しかし経済格差は広がり、国連大学の発表によれば、世界の人口2%の人々が、世界の富の50%以上を所有しているといいます。中国の経済成長率は数%を続けていますが、農村部へ行けば、数百円で、一カ月の食費を賄っていると最近のテレビ番組で見ました。
 
 ルカ伝3章10節の、「われら何を為すべきか」の問いは、8節「悔い改めにふさわしい実を結びなさい」という言葉への問いかけです。11節ヨハネの答えは「下着(下衣)を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」です。
 下着と翻訳されていますが、これは下衣のことであって、私達が思っている肌着としての下着ではないとおもいます。産業革命以前、農民の衣服は平均1〜2着であったと以前ラジオ番組で聞きました。日本でも、戦国時代のころはよく似た事情だったと思います。
 年末に、ある朝目覚めるとなぜか西暦1572年のことを調べなさいという啓示があって、調べてみると、1572年には、フランスでサン・パルテルミの虐殺がありました。約5万人のユグノーがパリ周辺で殺害されます。絵を見ますと、殺害された人々はみな裸にされています。衣服が貴重な財産だったからでしょう。
 
 ともかく、われら何を為すべきか
 いつも、目の前のことより、本質的な構造を変えることが大切であると考える人と、目の前の悲惨な状況に対してます行動を起こすべきだと考える人の対立があり、また一人の人間の中でも葛藤があります。
 「どちらか」ではなく、「どちらも」だと思っています。「何を為すべきか」ではなく、「私にできることはなにか」と考えていきたいと思います。
 今年もよろしく。090−6987−6679