損して徳とれ

「損して徳とれ」 あるいは 「損して得とれ」ということわざがあるが

これまで、私はこのことわざには注目しなかった
どちらかといえば避けてきたことわざだ
 
「目先の損得に惑わされずに、全体的、長期的な視野に立って行動せよ」
という意味で使われているのだろうが
 
最終的に自分の利益のことを考えているならば、
それは得はとっても、徳をとっていないと思う
 
そもそも、現代日本人の多くの人々にとって、「徳」という漢字は知っていても
「徳」という言葉の概念が理解できていないのではなかろうか
 
「徳」という言葉は
絶対者、神、神々あるいは仏陀に対して、誓いを立てることによって
初めて意味が生まれるものだろう
 
誓いを立て、戒を守ることによって、徳が積まれる
 
ある種の宗教団体なんかで、寄付したり、信者さんを増やすことを
徳を積むといっているようだけど
それは、律(団体の利益を増やす為の団体のルール)を守っているのであって、
徳を積んでいるとはいいがたいと思う
 
仏教では、布施をするにしても、三輪清浄の布施といって
布施、布施する人、される人が忘れ去られていてこそ布施であるという考えがある
「私はこれこれの布施をしたんだ」と自慢するようでは、布施にはならない
 
今、自分に語っている戒は、
不瞋恚戒
 
儲けてやれ、と思っている人に対して、気付かない振りして、儲けさせてあげる
そういう場面だってある
 
最近、ある物件を買った
仲介者は、思惑通りに売ったと思っているだろう
しかし、その物件の価値は、私達の遣いかた次第だと思っている
   
細々した事で、予算が増えていった
仲介者の説明も変わっていったが
ふむふむと聞くことにした
 
損したとも、徳を積んだとも思っていない