発散する連続は予測できない

アドラー心理学に出会うまでは
科学とは真理を追究し、真理を証明するものだと思っていました
  
ところが、アドラー心理学を学ぶ者たちの間で
科学的という言葉を使うことがあるが、
そもそも科学的とはどういうことか、心理学は科学といえるのか、
が話題になったことがあり
科学・科学的という言葉の意味を再検討しました。
  
そのとき参考になった本が
村上陽一郎著 「新しい科学論」 講談社ブルーバックスでした
新しい科学論―「事実」は理論をたおせるか (ブルーバックス)
 
詳しい内容は読んで頂くとして、
同書は1979年が初版です。
  
初版出版から約30年
国語的世界や、一般生活社会では、「真理」という言葉はまだ生きていますが、
論理学社会や科学社会、哲学社会では、「真理」に代わって「公理」が前提となっています。
  
公理系については、広辞苑にこう書いています
「ある科学領域の根底における根本命題の体系。
 他のすべての命題はそれから演繹的に導き出される。
 同一領域においても色々な公理系が可能であるが、
 公理系は、無矛盾性の要求を満たすものでなければならない。」
 
広辞苑には、観察の理論負荷性、あるいは依存性について書かれていませんが)
 
「唯一の真理」から「公理系」への移行の中で
旧来への真理への反旗を掲げた人々の中で、元々論理的でなかった人々は
無矛盾性を理解することなく、なんでもありの「独善系」「神秘系」へいったりしました。
  
ともかく、ベイトソンは、
「科学は何も証明しない」と述べています
科学の仕事は、「予測と制御」だとおもいます
  
その予測にしても、
「発展する連続は予測できない」といっています
  
地球温暖化はここ数十年のデータからいえば、そうなのでしょう
でも、一ヵ月後のある日あるときの気温を、確実に予想できるわけではありません