複雑系 論理階型 収束する連続は予測できる

色々起こる出来事を、じっくり観察し
次のように仮説する
「ものの名前は名づけられたものとは違う。
 ものの名前は名づけられたものより一段高い、別の論理階型に属する。
 クラスは、そのメンバーより一段高い、別の論理階型に属する」
 
「こころ」もまた、名前です。
「こころ」という名前は、「名づけられたもの」とは違います。
 
「こころ」をクラスとする「メンバー」があります。
 
「メンバー」は揺らいでいます。
 
(クラスだって揺らいでいますが、メンバーの揺らぎとは論理階型が違います。
 大地は地震のとき以外は揺らいでないようですが、実は、太陽の周りを自転しながら回っているように)
 
「こころ」は、綱渡り芸人に例えられます。
「こころ」をクラスとする「メンバー」は、ちょうど綱渡り芸人の筋肉に例えられます。
 
「ああいよいよ死期が迫っているな」と感じたとき
人は、欲が抜け落ちていくでしょうか?それとも、欲がますます強くなるでしょうか?
 
未熟な芸人は、綱から落ちるでしょう。
熟練した芸人は、綱が揺れても、綱の上に居るでしょう。
 
どちらにしても、筋肉達は、揺らいでいます。
揺らぎながら、バランスをとっています。
 
綱渡りだけでなく、学習において、ある日(クラスが)突然レベルアップすることがありますが
それも、(メンバーたちが)日々常に練習を続けてこそです。
 
といって、闇雲な練習が、効果を挙げる訳ではありません。
 
クラスとメンバー、全体と部分には、ある関係があります
 
各メンバーが、他のメンバーと絶えず交互作用を行っている結果
クラス全体としてみれば、メンバーの動きの総和以上の何らかの独自の振る舞いを示します
 
更に、全体的なクラスの特性が、メンバーにフィードバックされ、メンバーの振る舞いに影響を及ぼします。(創発
 
単語が集まって、文章となり、文章は文脈を作ります。
 
と同時に、文脈によって、文章の意味や、単語の意味が規定されます。
 
クラスはクラスとして、メンバーの個別観察をし、メンバーをふるいわけたりします。
メンバーは、メンバーとして、クラスの文脈を感じて、自分の振る舞いを決めたりします。
これを「瞑想」といいます。
 
こころは、クラスであり又メンバーであります。