無から有は生じない

「人生、何が一番大事なんだろうか?」
人によって答えは違うだろう。
同じ一人の人であっても、状況の中で違う答えを言うだろう。
 
自分が大事と思っていることを、他の人にもそう思うように、強制は出来ないだろう。
 
「人の命は、地球より重い」などという
だが実際、自然界は、人の命を奪い
人が人の命を奪っている
戦争然り
 
もし、子どもや青年に
「人は人を殺す権利があるのか無いのか?」
(無いのなら、どうして戦争をするのか?)
「いやなやつを、仲間はずれにする権利はあるのか、無いのか?」
(無いのなら、どうして死刑制度があるのか?)
と問われたら、大人達はどうきちんと答えるのだろう。
 
「人生、何が一番大事なんだろうか?」という問いの文章は
脈絡も無く、いきなり生じるわけではなく
ある文脈の中から生まれる
 
少年期、どちらかといえば、私はよくこの問いに向き合ったほうだと思う
そのときの「何が大事?」というニュアンスは
本当はもっと大事なことがあるだろうに、なぜ受験勉強などしなくてはならないのか?
という意味だったと思う
 
「人はやがて必ず死ぬ」
子どもであっても、少年であっても、それは自明のことだ
「死にたくない ただ生きるだけでなく、充実して生きていたい」
子供なりにそう思った
「人の命は、地球より重い?それは建前だ
 実は、自分の命は地球より重いと言いたいのだろう」
と子供なりに思った。
 
以来、「何が大事?」と問い続けている
 
しばしば「人の命は、地球より重い」と建前を述べ
あるいは、「私はこれこれのことで共同体に貢献している」と免罪符を並べ
自分のエゴイズム性、支配性を、隠蔽したりする
 
「こころ」や「精神」「魂」を、肉体・物質より分離させ
物質や肉体は、舞台であって、「こころ」「精神」「魂」が大事と
自分のエゴイズム性を隠蔽する
 
「私は魂の修行をしている」「快のバイブレーションを発信している」といっては
「貪り」を、隠蔽する
 
あるいは、[正答]というものを作り、疑わないことで隠蔽する