精神と自然 客観的経験は存在しない

「江戸時代の最後の頃に日本にやってきた宣教師の記録を見るとね
 結構江戸の庶民の識字率って高かったみたいだね。」
 
「ふうん、僕なんか白土三平カムイ伝を読んだ世代でね
百姓が文字を習うのを禁止していたということがとても印象に残っている。
都合が悪かったんだろうね。百姓が文字が読めたりすると。」
 
「今ね、僕達グレゴリー・ベイトソンの精神と自然を読んでいるだろう
<学校教育は、真に重要な問題はすべて注意深く避けて通っている>
ってベイトソンが書いているけど、そのとおりだと思う。」
 
「<科学は何も証明しない>
<ものの名前は名づけられたものでない>
<客観的経験は存在しない>
 ってどうして教えないのだろう?」
 
「教えたがらないという面もあるだろうし
学びたがらないという面だってあると思う
これが真実、常識と信じていたものが崩れていく
その過程を経てジャンプするというのは、至難の道だもの」
 
「ところで急に話題を変えるけどね
 悪魔から仕掛けられた戦いってわかる?」
 
「負けるわけには行かないけど、勝ってしまってもだめ
 戦いに参加すること自体もだめ」
 
「今読んでいる二重拘束ってそういう面あるね」
 
ダブル・バインドという言葉を知る以前には
不条理って僕は言っていた」
 
「でも、師匠達もダブル・バインドを使ったりするんでしょ?
 ゴータマ・仏陀諸法無我といわれた
 この警策が実体あるものというなら、これで打つ
 幻であるというなら、やはり打つ
 何も答えないなら、やはり打つ」
 
「まあ、お茶を一杯どうぞ」