日は昇り、日は沈む そして月が出て、花が咲く

私が卒業した高校は、田舎の高校だったが、同級生は約400数十名あったと思う。(11クラス)
(今から30数年前の話)
その多くの人は、都会の大学に進学、あるいは都会の予備校に通う、就職するといった道を選んだ。
 
どの道を歩んだにしても、人が生きている以上、そこには、その人だけにしか味わえないドラマがあっただろう。
 
400数十名のうち、私と私の友人数名は、その後放浪の旅に出た。
 
大学を辞めたり、会社を退職したり、家を出たりした。
 
当時の私の人生のテーマは「悟り」であった
旅の途中に出会ったある人に、自分が当時書きつづっていたミニコミ誌を読んでもらったとき
「悟り」という言葉がよく出てくることを指摘された
 
リュックを担ぎ、ヒッチハイクしながら、田舎に入植している人々や、新興のコミューン、共同体を訪ねた。
 
当時は、自分の求めているものを、「悟り」という言葉の表現でしか表すことが出来なかった。
 
今で言うなら、「生きることの意味」「存在することの意味」を求めていたと思う
 
神は死んだといわれる時代に育ち、既成の宗教には興味がもてなかった

当時、ヘルマンヘッセの「荒野の狼」「デミアン」を常に持ち歩いていた。
 
ヘルマンヘッセを通して、原始仏教ユングを知り、ユングを通して、アドラーを知った。
 
アドラーを通して、竜樹、ベイトソン(ベイツン)を知った
 
宗教と科学と哲学と、精神と肉体、存在と認知、私と世界の融合に、長い道のりがかかった
 
これまで、いろんなことがあった。そして、これからもいろんなことがあるだろう。