再び 論理階型
この歳になって、論理階型という言葉を知った
振り返ってみると、どうして学校では、この「論理階型」をおしえないのだろう
物事の見え方がすっきりするし、考えもすっきりするし、話し合いも混乱せずスムーズに行くだろうに
先日の環境問題研究会での講義で、論理階型について話をしたが
初めて聞くという人のほうが多かったように思う
論理階型については、私はラッセルの著書からではなく
グレゴリー・ベイトソンの著書で知った。
私は現在、環境省の宇久井ビジターセンターでボランティアのインタープリターをしていて
「植物と虫の名前を覚えない自然観察会」の講師をしている
論理階型を毎回語っている
例えば、今読んでいる部分から解説してみると
普通私達は、人の性格を分類することが好きのようだ
血液型だの星座だのを使って、あの人は○型、あの人は☆型なんていったりする
雑誌の中なんかでも、いくつかの質問に答えながら、矢印の方向に進み、最終的に、あなたは○型です
といった記事があって、それが心理学だと思っている人も居る
ところが、ベイトソンは、単に分類するだけでなく、型と型の関係に目をつけた
仮にあるグループに属する人々を、「積極・支配型」と「消極・依存型」と二つに分類したとしよう
分類した上で「積極・支配型」と分類された人が、「積極・支配型」に振舞う関係を観察する
「積極・支配型」に分類される人を「積極・支配型」たらしめている関係はどんな関係か、
という視点を持つこと自体、分類を固定したものと見ないこと自体が階型をジャンプしている
「積極・支配型」と分類される人が、「積極・支配型」に振舞う関係も、一つではないことに気づく
「積極・支配型」の人と関係を結ぶことによって、「積極・支配型」になる関係と
「消極・依存型」の人と関係を結ぶことによって、「積極・支配型」になる関係があることに気づく
仮に、前者を「対称型」と名づけ、後者を「相補型」と名づける
(実際、対称・相補という言葉が使われている)
更に、「対称型」と「相補型」の関係を観察する
という風に、階型は次々、ジャンプしていく
ところが、論理階型を理解しない人は、せいぜい分類するだけでとどまるか
階型のレベルの違いを理解できなくて、パラドックスに陥ってしまう
論理階型がわからないということは
別の表現で言えば
文脈が読めないということ
文脈といっても
私も参加したシステムで創造・構成した文脈のことだけどね