アフォーダンスとコミュニケーション

こういうのも「冗長性」といえるだろうか
 
アフォーダンスという言葉をよく聞くが、
理解が難しい
 
コミュニケーションといえば、常識的に「情報伝達」「理解」という言葉に結び付けやすいが
実は、コミュニケーションとは拘束しあうことである
と言われると「?」となってしまう
 
そこで、アフォーダンスと「拘束」としてのコミュニケーションを一緒に考えてみる
 
インタープリターとして宇久井半島をガイドしていて、
見晴らしのいい場所として、海岸段丘に案内する
 
海岸段丘の先端は、鳥にとっては、飛び立つ場所として
アフォードしている
しかし、人間にとっては、それ以上は歩けませんよと拘束する

同じ平らな場所であっても
運動場は人間が歩くことをアフォードするが
海水面は拘束する
 
コミュニケーションを「相互拘束」と捉えると
アフォーダンスも捉えやすいのではなかろうか