精神と自然 科学は何も証明しない

「ねえ、非ユークリッド空間ってどんな空間?」
ユークリッド幾何学の平行線公準が成り立たない空間のことだよ」
「どうして、ユークリッド幾何学の平行線公準が成り立たないの?」
「それは、非ユークリッド空間だからだよ」
「!???!」
 
「平行線公準ってどういうの?」
「1直線が2直線に交わり同じ側の内角の和を2直角より小さくするならば,この2直線は限りなく延長されると2直角より小さい角のある側において交わる。
別の表現をするなら、
<直線lとその直線の外にある1点Pを通って直線lに平行な直線を唯1本引くことができる>
これが、ユークリッド幾何学で、第五公準といわれているものだね。」
  
「ふうん、ところでこういうことと私達の人生とどう関わってくるの?」
 
「君ね、誰かと真面目で真剣な議論をしたことある?」
「そりゃ、いくらでもある」
 
「真面目であっても真剣であっても、議論がかみ合わなかったことは?」
「あるよ。」
「真面目で真剣であったのに、どうしてかみ合わなかったのだろう?」
「ええっと、使っている言葉の定義が違ったんだ」
「定義を確認したら、かみ合ったかい?」

「むずかしかったね
 ある人がね、<性格>が行動を決めている、っていうんだ
それで、<性格>という固定したものや主体があるわけでないと僕は言ったんだ
そこで、性格という言葉を定義しようとしたのだけど
定義の内容そのものが違ってしまった
彼は<性格というもの>があるというし
僕は、いくつかの行動を観察して、その行動群に、積極的とか内気とか、<後からつけた形容詞>に過ぎないっていったんだけどね

言葉の定義を言葉でするわけだから、更にその言葉を定義していけば、いつか無定義語に行き着くわけだけど、彼にとっては、こころとか魂とかは、無定義語なんだ。」

「ところでさ、<直線lとその直線の外にある1点Pを通って直線lに平行な直線を唯1本引くことができる>という公準は<真理>なのかい、そうじゃないのかい?」
 
ユークリッド空間においては、真理だとおもう
 なるほど、わかった。
 こころとか魂が無定義語の人にとっては、性格や心の傷って、公準のようなものなんだね

 ベイトソンが言っている<科学は何も証明しない>ってことも、わかったよ」