成長に続いて、学習について

昨日は「成長」について書いたが、「成長」がらみで「学習」についても、まとめなくてはと思っている。
 
受精卵が分割するとき、先ず最初2個に分割され、4個に分割され、8個に分割されていく。
 
ただ数を増やす分割をするのではなく、途中で階型のジャンプがある。
桑の実のような形から、一部が内部に陥入しはじめる。
いわゆる外胚葉と内胚葉に、分化し、外胚葉と内胚葉の間に更に中胚葉ができる。

更に分裂と分化が進み、形態形成していく。
 
学習においても、同じように、階型のジャンプがある。
 
グレゴリー・ベイトソンが、精神の生態学のなかで、学習Ⅰ、学習Ⅱ、学習Ⅲと呼び、詳しく解説してくれているが、
物心二元論や要素還元論が一般常識となっている人にとっては、理解が難しい。
 
いわゆる、「思い込み」をはずすとか、「コペルニクス的転回」ということが、学習Ⅱから、学習Ⅲへのジャンプなのだが、学習Ⅱから、学習Ⅱつまり、いままでA世界観だったのを、B世界観に変更しただけなのにそれを、「思い込み」をはずすという表現をする人がいるので、ややこしくなる。
 
そして、近しい間柄の世界観同士が案外反目しあったりする。
 
昔から、「類は友(類)を呼ぶ」という表現があり、世界観の似たもの同士でコミュニティを作るので、よく似たデータが集まり、ますますその世界観は強化される。
 
そのまま矛盾を感じずに、類同士で一生生きられたら、それはそれで越したことがない
といいたいところだが、人生の妙、人生いろいろ、縁次第というところかもしれない
 
ここで自分が色々書くよりは、「精神の生態学」を読み込むことをお勧めする