歴史感

歴史観ではなく、あえて歴史感という言葉を造語したい
 
「私達の今ここの暮らしは、幾多の人々の血と汗の上に成り立っているんだな」と実感することを、歴史感といいたい
 
学校教育を批判するつもりはないが、私の場合、学校で歴史の授業を受ければ受けるほど、歴史感を忘れていったように思う
 
歴史の先生は、歴史感を語る人ではなかった。歴史知識を語る人で、知識の試験官であった。
 
高校のときの地理のY先生は、授業が半分が過ぎる頃、いつもシベリア抑留の経験を語った。
教科書のほうは、あまり進まなかったが、生徒からは慕われていた。
 
「先生、今日は天気がいいから課外授業にしようよ」と提案すると、「そうするか」といって
水野の殿様の墓、神倉山、熊野川の河原などにでかけた
 
歴史知識など無くてもいいとはいわないが
幼い頃、少年の頃、夕陽を見ながら、星空を見ながら、
かつてこの地上に生きた幾多の人々が、様々な思いを抱いて、夕陽を眺めたんだな、星空を仰いだんだなと思ったものだ
 
毎日陽は西に沈み、空には星があるのに
一体大人になった我々は何を観ているのだろう 感じているのだろう