失楽園 極楽浄土は何処にある?

私の幼、少年時代、休耕田などなく、秋になれば、稲がたわわに実り
稲刈りが終わると、稲を干すさがりが、道の両側に伸び、稲束の壁が出来上がった
赤とんぼが舞い、干した稲の香りを胸いっぱい吸った
 
つわぶきの葉を、ロート状に丸めて、山の湧き水を、掬って飲んだ
 
脱穀が済むと、稲わらは、円柱状に積み上げられた
初冬にかけて、その稲わらの塔の天辺は、日向ぼっこに最適で
冬になれば、円柱と円柱の間は、格好の「巣」(秘密基地)となった

川に洗濯に行った。
川の底まではっきり見え、川面が光り、ハヤが泳ぎ
堰に渦巻きが出来ては消えたりしていた
 
磯に行けば、アサリが面白いように採れ
波に漂いながら、小魚と遊んだ
さほど潜らなくとも、サザエを見つけたりした
 
たった今、人類が今の生活のあり方を変えたとしても
あの海の風景や田園の風景は、100年たっても、元に戻らないだろう
私にとっての「失楽園」 昭和30年代の風景が失われたこと
 
ただこういうことも思う
私が風景を満喫した昭和30年代
その30年代の風景に対して、もっと年配の人は、私の側で
自分が少年時代を生きた時代と較べ、愁い悲しんでいたかもしれない
 
逆に言えば、まだ幾分か緑の残っている現在の風景に対して
今の少年達は、将来懐かしむのかもしれない
 
どんな時代であれ、生きるということは、苦しいことかもしれない
 
そして、私が青年期にタイで赤痢で死に掛けた時
もだえ苦しむ中で、極楽浄土が見えた
 
今が極楽であろうと、地獄であろうと、蜂が蜜を集めている