52歳を越え、自分のからだが徐々に崩壊していきつつあることを感じる。
いわゆる、老いというものを感じる。
20歳前半の頃、放浪中、タイで赤痢になり、死にかけたことがある
だから、いつ死んでも、もうけもの、という心境で生きてきた
最近、教富楼那経というものを知った。
シッタルダの十大弟子の一人、富楼那のことを述べた経で、増谷文雄氏が、日本語に訳したものだ。
死ぬる覚悟というのは、いつ死んでもいい、ということではない、とこの経を読んで思った。
例え、自分の思わぬことで、死ぬことになるかもしれないが、それでも私は私の思うことに進むというのが、死ぬる覚悟だと思う。
生きるか死ぬかではなく、自分を呼ぶ声に向かって、進むことが大事なのだろう。
死ぬ瞬間まで、自分の仕事、自分の責任を果たそうとすることが大事なんだろう
人には、必ず人それぞれ、はたすべき仕事があって、先ずそれを見出し、自覚することが大事だろう
私の仕事とは、私が学んだ苦の解決法を、「施」することだと思っている。