原始仏教について

今や、世界中にあるホームページは、10億ページになると何かで読んだ。
出会いたいホームページに出会うには、どのようなキーワードを選ぶかがポイントとなる。
 
原始仏教に関するページを幾つか読んだ。いろいろなタイプ、内容がある。
 
一つは、主に学問的に語釈をするタイプがある。
 瞑想、特にビパッサナ瞑想とか念処の経験なくして、書かれているように思う。
 
一つは、瞑想体験を伴うタイプ。
 瞑想体験がないと、原始仏教経典と呼ばれている経典は、玉石混交なので、一々語釈をしていたら、それだけで時間がかかり、実際の苦の解決に結びつかなかったりする。

 ただし、ビパッサナ瞑想とは言ってはいるものの、シャマタ(止)とビパッサナ(観)のうち、シャマタの瞑想しかしていないものもある
 選り分けるポイントは、身受心法の「法」をどう捉えているかで分かれる
 
 瞑想はしているものの、現在の臨床心理学や、言語学との関わりを見い出せずにいるタイプもある。
 
 更に言うなら、瞑想はするものの、布施行を実行しているかしていないか、瞑想はしていても、布施行はしていないタイプもある。
 
山田塊也氏が、著書「トワイライト・フリークス」の中で、こう書いてある。
<仏教が権威となり、堕落、頽廃した日本では、ぼくはヒンディ教徒になるが、ヒンディ教がカースト制度に組み込まれているインドへ行けば、当然ながら仏教徒を名乗って、アンタッチャブルの側につく。
 第二の仏陀ラーマクリシュナは言った。「私の宗教だけが正しく、他は誤りだというのが無知である。」>203ページ
トワイライト・フリークス―黄昏の対抗文化人たち

確かに、自分の周りの人々を見ていると、原始仏教よりも、アニミズムや「アートマン(自己)はすなわちブラフマンであり、ブラフマンはすなわちアートマン(自己)である」という、ウパニシャッドの捉え方のほうが、現実的、世俗的な苦しみには対処できるような感じがしている。