共同生活での問題解決の仕方 それは共同の課題か?

生きていくうちには、解決すべきいろいろな問題に出会う。
若い頃は、ある問題に対して、最良の解決法は「唯一」だと思っていた。
 
その「唯一」を巡って、私のもっている「唯一の方法」が最良と信じ、他の方法を信じている人と議論になったりして、そのことがまた問題のひとつになったりした。
 
共同体生活の場では、どれかひとつを選ばねばならない場面があって、その時は決着をつけなくてはならないが、共同体の所属するメンバーの共同の課題でもないことにも、どちらが「唯一」かで議論したこともある。
 
例えば「心の傷」はあるかないか、などの議論だ。
心の傷があると前提して、問題解決に到ることもあれば、
心の傷はないと前提して、問題解決に到ることもある
 
逆に、共同生活をしていると、共同の課題でないことまで、共同の課題と思い込み、要らぬアドバイス、要らぬ議論をしてしまうことがある。
 
例えば、批評を頼まれてもいないのについ、「今日の君のヘアスタイル、君に似合わないね」なんていってしまうことだ。
 
子育てを巡って、「ねえ、あなたからもなんか言ってあげてよ」なんて依頼というか柔らかな命令があったりする。父親と母親と意見が違っていい場面でも、一緒でなくてはいけないと思ってしまうことがあった。
 
「唯一」の選択、あるいは「一致した選択」、「妥協を伴う選択」をしなければならない場面なのか、そうでないのか、先ず見極めることが大切だ。
 
夫婦間では、妥協を伴う選択が多かったりすると思うのだが、不満のない妥協を選ぶこれが難しい。
最良の選択ではなく、「最悪ではない選択」になったりする。