All that we are is the result of what have thought.

昨日は、那智勝浦町市野々にあるNPO熊野みんなの家で、「チベットの般若心経とビパッサナ瞑想と認知心理学」の講座を開催しました。
       
開催の直前、参加される皆さんにどういう言葉かけから始めようかと考えました。
       
「これまで瞑想を体験されたことがありますか?」と尋ねたところ、ほとんどの人が、体験がないということでした。
         
また、この言葉かけは不十分な質問です。
       
何を以て瞑想と呼ぶか、人によって違うだろうからです。
       
そこで、瞑想についての説明から始めました。
        
調身、調息、調心
        
サムエ―の宗論を例に、チベット仏教と中国仏教の瞑想の捉え方の違いなどから始めました。
        
講座を終えて、次からの講座からは、今回とは違った言葉かけからはじめようと思いました。
         
次回からは、「あなたは瞑想に何を求めますか?」という言葉かけから始めようと思います。
       
無念無想を求める人には、無念無想が訪れるでしょう。
超能力を求める人には、超能力がもたらされるでしょう。
縁起の法を体得したい人は、体得されるでしょう。
        
では、
無念無想を求めるのは、その先に(あるいは根源として)何を望んでいるのでしょう。
超能力を求めるのは、その先に何を望んでいるのでしょう。
     
 今夜は、海外からチベット仏教に興味があるという人が訪れ宿泊する予定です。
 それで、仏教用語の英語単語を調べるために、「Wisdom of the Buddha」を開いてみました。
     
ダンマパダ 第一章は次のように始まります。
       
Manopubbaṅgamā dhammā マノープッバンガマー ダンマー (パーリ語
         
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。(日本語訳)
          
F. Max Muller(I. Muller, Friedrich Max)氏は、次のように英訳されました。
       
All that we are is the result of what have thought.
It is founded on our thoughts.
It is made up of our thoughts.
         
パーリ語を英語に訳したものを、更に訳しました。
         
「我々が今ここにかくあるは、これまで我々が思い考えた結果です。」
        
瞑想の方法や効用以前に、
what have thought が大事なのだと思い至りました。
         
あなたは、この人生で何を成し遂げようとしているのでしょうか?