チャンスを広げる思考トレーニングから「Giving an A」の日記

チャンスを広げる思考トレーニングから「Giving an A」の日記

朝目覚めたら、その日一日のことを、心の中で書き始める。

書き出しは、例えばこうなる。
「今日という日も最高の一日だった。なぜならば、朝起きたときから、最良の日とするように、一瞬一瞬目覚めており、そうなるような行為を選び続けたからだ。
目覚めたとき、布団の中が暖かくて心地よく、もうしばらく寝ていようとも思ったが、今日も最良の日と書く日記のことを思い、飛び起きたこと。」といった感じ。

そして一日中、何らかの行為の度に、
「今日という日も最高の一日だった。」と書くことにつながるだろうか、と点検する。
 
 予定していないことが起きたり、あるいは自分の思い通りにならなかったことに出会っても、例えなにがあっても、今日も最高の一日だったと書くには、どういう選択をするのが適切かと考える。
 
 これは「笑う門には福来る」という生き方。

 誰もが「笑う門には福来る」と考えている訳ではない。「福があるから笑えるのだ。」と考える人がいる。「福が無いのに笑うなんて、作り笑いだ。」と思う人もいる。
      
だから、笑うために多くの福(笑う材料、笑える原因)を蓄積しようとする。
富、地位、肩書、名声、健康など。
いわゆる原因論的な生き方。外部キャリア蓄積型の生き方。
        
そりゃあ、福があるに越したことはない。
しかし、人間の一日には、自分が望んでいないことや思い通りにならないことが起きたりするものだ。さて、その時どうするか?
      
そういったときも、それを笑う材料にする。
      
 ポジティブシンキングと似ているようで、似ていない。
      
 ポジティブシンキングは、「結果に対しての評価」を変えるだけ。
 例えば、瓶入りの飴を買いました。数日後、飴は瓶の半分まで減りました。
「あ、もう半分しか残っていない。」いやいや「まだ半分も残っている。」
       
「笑う門には福来る」の生き方、Giving an Aの生き方は、
先ず笑う、笑うと次の行為が変わる。
あるいは、笑うことにつながる、行為を選択する。
「これあるによりて、これあり」で 先ず笑うことによって、更に笑うことの行為が次々思い浮かんでくる。
       
「もう半分しかない。」と思うのも「まだ半分もある。」と思うのも、自分の評価。
これって、「私が作り出したこと。」「 It’s All Invented 」Wa Ha Ha Ha
       
気に入って何度も何度も聞くCDがある。
ところが、聞く度に違った音楽になる。
同じCDを、数人で聞けば、それぞれが違った聴き方をするだろう。
違う日に聴けば、又それぞれ違った聴き方をすることだろう。
楽器が弾ける人は、弾けない人と違った聴き方をするだろう。
指揮者ならもっと違った聴き方をするだろう。
苦悩の最中と乗り越えたときとは、違った聴き方になるだろう。
        
 ただ聞いているのではなく、聴きながら「私が作り出している。」 It’s All Invented
        
 ビパッサナ瞑想を解説するあるHPにこんなことが書いてあった。
        
部長に書類を提出したら、小さなミスを指摘された。指摘が続く。
そこで、ビパッサナ瞑想を応用する。
心の中で、「これは音だ音だ」と言い続ける。
小言が小言でなくなって、ただの音となり、平常心が保たれる。
        
 確かに、聞こえてくるのは「音」、声帯や口腔が作り出した「音」、色としての「音」。
        
その「音」を、私の感覚器官が捉え「受」、接触が生じ、そこで過去を参照し、判断が生まれ、行為が生まれ、認識が生まれる。「想」「行」「識」
        
接触から(私独自の)判断(仮説けせつ)が生まれることを、「縁起」といい、It’s All Invented という。
        
私達は私たち自身が意味づけした世界の中に生きている。
        
一切が、It’s All Inventedと自覚したのちに、改めてどういう判断をするのか、
        
Giving an Aもまた一つの提案。
「これは音だ、音だ」と無念無想になるのも、やはりこれだって判断で、一つの提案。
       
そして、実践してみれば、現量としてどのような結果がやってくるかはっきりする。