これありてこれあり 無定義用語

真理という言葉を広辞苑で引けば
<まことの道理>とある。
国語的に言えば、ある事柄についての真理は普通、ひとつとされている。
 
真理はたった一つである、というものの見方が、争いの元になったりする。
私が支持する真理こそが唯一の正しい真理だと、お互い言い争ったりする。
 
哲学の領域が、存在論だけの時代は、多くの人が、真理はひとつだと思っていた。
しかし、哲学に認識論が加わった時点から、真理はひとつとは言い切れなくなった。
 
ユークリッド幾何学では
ある直線に対して、その直線外の一点を通り、その直線に平行な直線は、ただ一本だけ引ける。
ところが、非ユークリッド幾何学になると、無数に引けたり、一本も引けなかったりする。
 
そこで、公理系という考えが生まれた。
公理系は、無定義用語を使用し、証明無しで真とされる公理の提示から始まる。
 
思考や議論をする上で、使用する言葉の定義が必要になる。
言葉で言葉の定義を実行していけば、定義しないで用いる用語にどうしても行き着く。
そういう定義しないで用いる用語を、無定義用語という。
 
原始仏教で言うところの、「これありてこれあり」ってこのことかなと思ったりする)
(証明無しで真とされる公理を支えるのは「信」ではないですか?)
 
公理系で提示される公理達は、お互い無矛盾でなくてはなりません。

私達は、私達の、見たいものを見たいように見る傾向がありますが、
やれどちらが真理だと議論すること以前に、
公理系を理解し
自分の論拠、論理過程に矛盾がないかどうかの検証が大切ということです