苦の生滅と文化 ビパッサナ

「行動理論への招待」佐藤方哉著 大修館書店発行 1976年初版を読んでいる。
行動理論への招待
 
行動理論というと、古いというイメージがあったのだが、読んでみると面白い。
心理学の基礎の基礎だ、といわれて読んでいる。
 
これまで東南アジアを主に旅してきた。
シンガポール、中国、ベトナム、台湾
世界遺産などの観光地を巡ることよりも、現地の人々の生活に触れることの方が面白く感じている。
 
いずれの国でも、タクシーのドアは、自分で開けなくてはいけない。
日本のように自動ドアではない。降りるときつい、閉め忘れたりする。
 
ベトナムホーチミンでは、バイクの数に驚いた。
まるで河の流れのように、バイクが流れてくる。
大きな通りの交差点には信号があるが、4車線位の広い道であっても信号のないところが多い。
そこを、子どもも老人も、バイクの流れを読んで、渡っていく。
ガイドの人からは、走って渡るとかえって危険だよ、といわれた。
最初は、現地の人が渡るのについていった。
小さな事故を時々見かけた。
しかし、当事者同士の話し合いで済ませていることが多かったように思う。

日本では考えられないようなことが、こまごまとある。
お乞食さんの暮らし方も、国それぞれで違っていた。
それが面白い。
 
海外に行かなくとも、日本の中でも、実は、ある場面でどういう行動を選択するかは、一人一人違ったりする。県民性とか、性差とか、家風とか、個性とか。
 
その違いが、苦しみの元になったりする。
ある働きかけに対して、当然こういう反応が返るだろう、と期待していたのに、期待通りの反応が返ってこなかったりした時だ。
 
文化の違い、家風の違い、個性の違いなんだと思い許容すればいいのだけれど、
ある人々は、自分の反応、自分の文化、自分の家風が正しくて、相手が変だと、無意識的に断定して苦しむ。
 
この無意識的断定に気づくためにも、ビパッサナ瞑想が有効なのだが
相手がプラスと思っている行動が、自分にとってマイナスであるとき
許容する、自分の行動を変容するのが難しかったりする
(自分のやり方に意固地になったりする)
 
そういった、小さな小さな食い違いが、積み重なって、大きくなっていったりする。
 
なぜビパッサナ瞑想をするか、自分の無意識的行動に気づき、
その適不適をつぶさに感じ(苦諦)、適なる行動に変容させる為
 
何をどうしても、苦しみを生む、不適な行動しか思いつかない場面があったりするが、
そのことについては、いずれまたじっくりと。