「きく」ということ

昨日は急いで文章を書いたので、雑駁になってしまった。(いつものこと?)
以前にも書いたが、アドラー心理学に出会ったこと、
そしてそこで、ビパッサナ瞑想を知ったことが、
以後私の人生に大きく影響している
 
ビパッサナ瞑想を実践するとは、簡単に言えば、
自分の行いや、関係のあり方に
一瞬一瞬目覚めているということ
 
やってみればわかるが、一瞬一瞬目覚めていることは難しい
つい、習慣や思い込みで生きてしまったりする
 
無論、馴染むこと、「板につく」ことは大切だが
同時に目覚めていることが大切
 
「目覚めている」ということを別の表現をすれば
一期一会ということ、初心に帰るということ
 
これをまた、小山内美智子さんの本の中の表現をすれば、
<介助者たちに対して「いつも迷いをもってケアをしてください」と言いたい。
人間は「これでいいのだ」と迷いがなくなった時、
血の通わないロボットのような冷たい手になってしまうのだと思う。>
になると思う。
 
「あなたは私の手になれますか」<心地よいケアを受けるために>5ページ
小山内美智子著
あなたは私の手になれますか―心地よいケアを受けるために
 
そして、こうもいっている
<ケアをする手は常に新鮮であり、真っ白なキャンバスのようであってほしい。>

一瞬一瞬目覚めているとは、
一瞬一瞬「聞く・訊く・聴く」ことと言ってもいい
 
だから、触れることは、「きく」ことでもある