多情仏心と瞑想

「多情仏心」という言葉の語意は、普通
<感情豊かで移り気ではあるが、薄情(はくじょう)なまねのできない性質のこと。
「多情」は感受性が豊かなこと。「仏心」は慈悲深い仏のような心のこと。>
と説明される。
 大正時代に、里美紝が書いた同名の小説のことを 思い浮かべる人も居ることだろう。
 
私は、私なりの思いを、この言葉に抱いている
 
瞑想をなぜするかというと、気づくためだと思っている
何の為に気づいているかというと、苦しみの解決の為
 
多情を知らぬままの人には、「多情」を勧める
「多情」を知った後、苦しむ人には
「多情」を越える事、つまりビパッサナ瞑想を勧める