回心 地獄は一定

私は、本を読むとき、ブームになっている本を避ける傾向がある
そして、数年後、ぼちぼち読んでみる
浅田次郎さんのときもそうだった。
 
今、五木寛之さんの、「大河の一滴」平成10年初版を読んでいる
大河の一滴
 
どのページを読んでも、共感する
 
「地獄は一定」という言葉が、歎異抄にある
 
私達はよい行いをすることはできるが、よい意図を持つことはできない
とある心理学ではいう
よい行いであっても、その動機をよく観察すれば、私利私欲
 
しかし、世の中には、「正義の人」がいる
自分はよい意図に基づいて、よい行いをしているのだと、信じて疑わない
確かに、よい行いをしている
だから、余計に始末が悪い
自分の意図を見抜いていないのだ
また、よい行いといったところで、
あくまで、ある時代のある人々にとっての、相対的に、よい行いだ
 
自分の意図(私利私欲)にいつ、どうやって気づくのだろう?