ああ、家族

k1s2013-02-22

「苦しみ」について、
ある人は「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」といったりします。
仏教の根本的見解は「一切皆苦」です。
 
凡夫の感覚として納得できるのは、
「楽あれば、苦あり」の方ではないでしょうか。
だから、苦しみを避けて、喜びを得ようとします。
不満足を避けて、満足を得ようとします。
 
でも
善かれと思って行った行為が苦しみを産んだりする中で
凡夫のなかにも、自分の行動の一切を丁寧に観つめる人々が現れます。
 
どの行動の目的を見てみても、
世の中から善行といわれているような行為でも
一番根の底にあるのは、私利私欲であると気づいてしまいます
 
その時になって「一切皆苦」という言葉が身に沁みます
 
その時に生まれてくる言葉が
「禁欲」であったり「捨て欲」であったりします
 
しかし
アルコールや煙草や甘いものを禁止すればするほど、欲が強くなるように
また例え、禁止に成功しても、その成功を捨てて又繰り返すように
禁欲はあまりうまくいきません
 
なぜなら、生命体が生きる、ということを言い換えれば
環境に働きかけ、自分の都合がよくなるように操作することだからです
 
行動分析学の言葉を使えば
「人間も人間以外の動物も、ある行動をした直後に好子が出現したり増加したりすると、その行動をますますするようになる」のです。
(「行動分析学入門」産業図書1998 5頁)
 
「禁欲」が行き詰る中で、「離欲・離果」ということを見いだしていく人がいます。
 
バガヴァッド・ギーターの最終章には
「名利を求める活動を止める、これを『離欲』、活動の結果を期待しないことを、『離果』という」(18-02)
とあります。
 
しかし、これこそ凡夫には至難の業です。
離欲と禁欲の見分けのつかない人もいます。
 
かつて、若い頃、なぜ出家者は家族を捨てるのかと思ったことがありました。
 
家族生活を、30年以上続けてきて
家族こそお互いに、活動の結果を期待しあう場、期待しあう人々であるとおもいます。
 
家庭生活を続けながら、離欲などできるのだろうか。