知るの語源は「領る」

以前あるキリスト教徒から聞いたのだが
聖書は、人間が書いたものではなく、神が精霊を通して、人間に書かせたものらしい
そして、他に神が書いたものがある、それは自然そのものだ、とその人は言った
     
二宮翁夜話 一 天地の真理 にはこうある
  
<私の教えは、書籍を尊ばず、天地を経文としている。
 私の歌に
  音もなく香もなく常に天地は
    書かざる今日をくりかえしつつ
 と詠んでいる。このように、日々くりかえしくりかえし示される天地の経文に、誠の道は明らかである。こういう尊い天地の経文を外にして、書籍の上に道を求める学者たちの論説は、私のとらないところである> と。
    
 薪を背負い、大学を読みながら歩いている二宮金次郎の像は、御馴染みだが
二宮金次郎は、先ず自然から学び、生活から学んだ
    
 現在の子供たちは、薪を背負わず(生活や自然から隔離され)、バーチャルな本ばかりを読んでいるようだ
  
 斯く言う私も、明治や江戸時代の人から見れば、書籍(バーチャル)人間だと思う