二宮金次郎と公理系・構造主義

哲学とはどういう学問か、その説明には色々あろうが
「この世界の究極的な存在とは何か?」を追究する存在論と、
「その究極な存在を、人は、如何に認識するか」の認知論から哲学は成り立っていると思っている。
            
だから、「宇宙に果てはあるのか」とか、「神は存在するのか」といった問題も、存在論から導かれるし、そのことを巡っての、百家争論も、認識論から説明がつく。
また、「人はどう生きるべきか」の人生哲学を導き出す根拠も、存在論と認識論が基礎になる。
       
かつて、哲学には存在論しかなくて、真理といえば唯一のものだった
ところが、認識論が加わったことによって、真理もまた、ひとつの「約束・制度」であることになった
絶対的な真理に代わって、公理に基づいて、考えたり、結論を出すことになった。
           
今から約200年前、
「見渡せば遠き近きはなかりけり おのれおのれが住処にぞある」
と、二宮翁夜話 二十六 善悪同服に そう歌っている

また百十四には、
<天には善悪はなく、善悪は人道で立てたものである。例えば草木のごとき、何の善悪があろう。それを人の側からして、米を善とし、莠を悪とする。食物になるかならないかの為である。天地にどうしてこの区別があろうか。  (中略)   ただ食えるか食えないかをもって善悪を分けるのは、人の都合から出た片寄った見方ではないか。この原理を知らなければならない。>
             
更に、夜話続編 三十八に
<見渡せば生死生滅もない。見渡せば善も悪もない。見渡せば憎いも可愛いもない。>

 薪を背負って、本を読みながら歩いている少年二宮金次郎は知られていても、二宮翁夜話を知っている人は少ないようだ。