めがねは何で出来ているか?

世界にはいろいろなことが起きる 物事は変化していく
その出来事、変化が、自分にとって都合がよかったり、悪かったりする
   
私達は、自分にとって都合のよいことが起きるようにと、世界に働きかけたり
よいことが起きる場に居合わすようにと、努力したりする
  
その為に、世界に起こる出来事の、仕組み成り立ちを知りたいと願う
    
世界の仕組みや成り立ちについて、人に解説する人が現れる
「先生」とか「科学者」とかその人たちは言われる
   
「哲学」もまた、世界の成り立ちについて、あれこれ述べる
    
哲人たちは、最初、世界の成り立ちについて語り合っていた
「そもそも、世界の究極的存在は何か?」
「世界はどのようにして成り立っているか?」
    
そのうちに、「そういった究極的存在を如何にして我々は認識しているのか?」が話題になった
つまり、「認識論」の誕生である
   
それまでの世界の成り立ちについての論を、存在論という
    
存在論と認識論が、哲学の二本の柱となった
 
   
「群盲象を撫ぜる」とか 
「私達は、世界を色眼鏡をかけて見ている」とかよく言う
 
では、その色眼鏡は何で出来ているか?
 
眼鏡というイメージから、どうしても、ガラスをイメージしてしまいがちだ
それと、眼鏡というイメージから、どこかに真理とか客観、実在があって
それを眼鏡を通して、ゆがんで捉えているというイメージになりがちだ
めがねをはずして、裸眼で見ると、真実が現れたりするというイメージを持ちがちだ
写像論?)
 
ユークリッドと非ユークリッドを考えたとき、別に非ユークリッドが間違っているわけではない
 
とはいえ、「すべては意識が作り出しているのであって、すべてが夢幻」とも思えない
 
そのことはさておき、眼鏡をかけていて、かけた色に世界は見えるということ
 
この世界が競争社会かどうかはわからない、
しかし、この世界は競争社会だという眼鏡をかけると、その人の周りにそういうことが起こる
 
「笑う門には福来る」という眼鏡をかけていると、福が来たりする
「いつでも始められる」とことばにすれば、そこが始まりとなる
 
眼鏡のかけなおしとは何か?
眼鏡が何で出来ているかを知らなくてはならない
 
眼鏡は、「ことば」で出来ている
かけなおしとは、「語りなおし」ということだろう
 
語りなおしを援助するのが、「セラピスト」(心理療法家)かな