二宮金次郎と川 名と実 太極拳

人生、「名」と「実」が相伴うことに越したことはありませんが、時には、名ばかりで実が伴わない場合や、名はなくとも実があるときもあります。
      
 名と実、いつも伴っていたいと思うと、それが苦しみのもととなったりします。正義感が強いのはいいことかもしれませんが、時に名にこだわると、苦しみをもたらしたり、かえって争いを生んだりします。
 人生では、名にこだわらず、実を取ったほうがいい場面も多々あります。
          
 太極拳は、不毛な争いを避けるため、名を捨てたりします。勝ち負けで言うなら、相手に勝たせてあげます。「以弱勝強」という言葉が太極拳にはあります。弱きを以って強きに勝つということですが、勝つというよりは、強きに負けない「以弱不負強」と言った方が、より太極拳風になります。
          
 人と河との関わりを考える時、かつて人は、河と太極拳風に関わってきました。
          
 「エジプトはナイルの賜物」という言葉があります。ナイル川は決まった時期に氾濫を起こし、下流に肥沃な土を運びます。この肥沃な土のお陰で、ナイル川下流は農業が発展し、古代文明の発祥地ともなりました。
 これはナイル川だけに限ったとこではありません。川というものは、交通路であり、大量の雨が降れば、氾濫し、森林の中から肥沃な土を運ぶものでした。そうして河口付近には平野が生まれ、その平野に田畑を作ってきました。人にとって、河は氾濫するものだったのです。
         
 武田信玄加藤清正もそのように考え、河と関わってきました。川を氾濫させないようにするのではなく、「実」が取れるよう氾濫していただくのです。
          
 ところが、現在の治水は、川に氾濫させないようにします。コンクリートで高い護岸を築き、森林を破壊し、ダムを作ります。田畑に化学肥料を投入し、農薬を投入します。ダムから水を引き、潅漑事業が、今度は塩害をもたらします。夏になれば、都会は慢性的な水不足となり、雨が降ればいっきに雨水が海に流れ込み、海の環境を壊します。
           
 河は本来、氾濫するものなんだと思います。河と戦い、名実共に勝とうとした結果、名実共に負けているように思うのです。
        
 二宮金次郎だけでなく、明治の中頃までは、そんな風に日本人は、川と関わってきました。