二宮金次郎とインタープリテーション その3

槌田敦さんが、「石油文明の次は何か」農文協発行という著作の中で、文明を次のように定義している
        
<文明の基本は食糧である。この食糧を生産しないでも、これを得ることのできる都市の活動を文明という。その活動を保証するのは、食糧の生産と物流であり、これをおこなうのは動カである。したがって、動力(または動力資源)が文明を決める(p13〜42)。これにより文明は、人力文明、畜力文明、石炭文明、石油文明と区分される。>
      
 薪を人力で作り、背負子に背負って歩いて運んでいるので、二宮金次郎の時代は、人力文明と畜力文明の両方といえる。
 現代日本人の日常の暮らしの中で、薪が使われるところとはどんなところだろう。
 友人が薪ストーブで暖を取っているから、ストーブとかお風呂、陶芸釜とかで、まだいくらかは、薪はエネルギー源として使われているだろう。
     
 現在の私達の暮らしは、石油文明だ。
 我が家ではご飯は電気で炊くが、電気は石油か天然ガスで作られる。
     
 江戸時代の人口は約3000万人といわれている。
それが今では、約1億2000万人。産業革命と石炭石油のお陰といっていい。

人口が約4倍増えた。では、私達は4倍幸せになれたか。
石油を止めて、自給自足に戻れば、幸せになれるなんて思っていないが、石油文明の環境破壊は著しい。国連の発表に拠れば、今世紀中に、地球上のサンゴ礁がなくなるといわれている。
          
 今後動力資源をどうすべきかという議論は大切だが、人間と自然、全体の関係をどう捉えるかという、世界観そのものを問い直すことがもっと大切だと思う。
         
 二宮金次郎は、数え年5歳の時、酒匂川の洪水によって、田畑が石河原になってしまった。
 私達の住む環境は、石油文明の洪水によって、砂漠になろうとしている。
       
 二宮金次郎が生きた江戸時代末期、石炭動力の黒船に乗って、ペリーが日本へやってきた。
 それが、石炭・石油文明の洪水の第一波といえるだろう。
 人は、自然の河の流れも、歴史の河の流れも止めることができない
      
 土手坊主となって、流れをみつめ続けること
 「三才報徳金毛録」にこうある
<生命のある者、必ずしも生あるものではない。息絶えたもの、必ずしも死んだものではない。なぜならば、陰陽と同じように生死は往来し、決してとどまることを知らないからである>
        
 人間社会も、文明も、生死は往来し、決してとどまることがないであろう
 そしてどう生きるか
 どんな時代であっても、やはり、至誠、分度、推譲だろう