二宮金次郎とインタープリテーション その2

 私の住んでいる那智勝浦町にある宇久井半島の森は、東と西では、様相が違います。
東側には、水底神社があり、森の木は一本立ちしています。
西側には、駒崎灯台があり、森の木は根元から数本に分かれています。それは、かつて、森の木を伐って、薪に使ったからです。切り株から新しく幹が伸び数本に分かれたのです。
         
 二宮金次郎の生涯が語られる時、数え年5歳の時、酒匂川が氾濫し、田畑が石河原になってしまったと、必ず語られます。
 しかし、金次郎は酒匂川あるいは自然を恨んでいる様子はありません。河とは時に氾濫するもの、自然とは時には猛威を振るうもの、そこに善悪はない、として受け止めていたように思います。
 しかし、何の努力をしなかったわけではありません。
       
 江戸時代、山の木を伐りすぎると洪水を引き起こすことは常識だったようです。二宮金次郎の時代以前から、木の伐採を制限したり、伐った後は植林をしたりして、治山治水を行ってきました。
 川はまた、交通路であったため、ゆったり流れるよう治水していたようです。
 (ちなみに、今の治水は、川岸に連続的に高い堤防を築き、河の水を氾濫させることなく、海へ流してしまいます。)
       
 二宮金次郎や江戸時代の人々は、自然を征服しようとは考えていなかったように思います。また、ただ単に人間の生活に利用しようとだけ考えていなかったようにも思います。
        
 森の中に入って薪を作る金次郎、ただ名前を知るだけでもなく、用途を知るだけでもなく、また再生可能な伐り方を実践するだけでもなく、人間と自然との全体的な関係をみつめていたように私は思うのです。
        
 二宮翁夜話の最初にこうあります
        
<私の教えは、書籍を尊ばず、天地を経文としている。
 私の歌に、 
      音もなく香もなく常に天地は書かざる経をくりかえしつつ
 と詠んでいる。このように、日々繰り返し繰り返し示される天地の経文に、誠の道は明らかである。こういう尊い天地の経文を他にして、書籍上に道を求める学者たちの論説は私のとらないところである。>
       
 前述した「インタープリテーション入門」小学館発行 日本語版への序にこういう一文があります。
         
 <本書の表題にある「インタープリテーション」という言葉は、多くの人たちにとってなじみのない言葉だと思います。
 一般的には「通訳」のことを言いますが、ここでは自然と人間の間の通訳、すなわち、自然の発するメッセージを分かりやすく人々に伝え、自然とのふれあいを通じて喜びや感動をわかちあおうとする「解説活動」のことを指しています。>
            
 「自然の発するメッセージ」とは、金次郎の言うところの「日々繰り返し示される天地の経文」ではないでしょうか。