インタープリテーション 私の定義

インタープリターあるいはインタープリテーションとは、どういうことを言っているのでしょう?
インターネットで、検索して幾つかのHPにあたってみました。すると、
       
< インタープリテーションとは一般的に「通訳」と訳されますが、外国では「自然遺産や文化遺産を通訳すること」を表し、自然、文化、歴史(遺産)をわかりやすく人々に伝える活動のことです。そしてそれは、「解説」ではあるけれど、一方的な説明ではありません。自然などについての知識そのものを伝えるだけでなく、その裏側にある“メッセージ”を伝える行為、あるいはその技能が「インタープリテーション」です。>
( 三重県環境学習情報センター指導者養成講座のHPや他のHPより抜粋)
      
とあります。
      
インタープリテーション入門 小学館発行の中には
<自然・文化・歴史(遺産)をわかりやすく人々に伝えること。自然についての知識そのものを伝えるだけではなく、その裏側にある“メッセージ”を伝える行為、あるいはその技能>
と、一字一句同じように説明しているので、原典となっている書物があるのだと思います。
      
 では、<裏側にある“メッセージ”を伝える>とは、どういうことを指すのでしょう?
      
 インタープリテーションネットワーク・ジャパンのHPには、
      
インタープリテーションの定義(フリーマン・チルデン)
「単なる情報の提供でなく直接体験や教材を通し、事物や事象の背後にある意味や関係を明らかにすることを目的とした教育活動」
「インタープリテーションは、あらゆる事実の背後に存在するより大きな真実を解き明かすもの」「誰もが持っているちょっとした好奇心を最大限利用して、ビジターの知的・精神的な向上をうながすようなもの」
          
と解説しております。
          
異論はあろうかと思いますが、私は、
自然の一部である人間が、自然から人生を学ぶこと
つまり人はどう生きたらいいのかという智慧を自然から学ぶこと
と定義しています。
          
私達は、どう生きたらいいのかということを、誰からどのように学んできたでしょう
私達の多くが農業を生業として生きていた時代には、自然が一番の教師でした。
川は氾濫するが、同時に豊かな土壌を運んでくること
いつ種を蒔くか、どうやって堆肥を作り、いつ与えるか、風が強くなってきたが、台風がやってくるのか来ないのかなど、自然を観察し、判断していました。
           
 ところが、産業革命以後、私達は、自然と触れ合う機会も段々少なくなり、自然を収奪の対象としてきた面もあります。
          
 その結果、自然破壊が進み、そのことがまた、人間の暮らしを脅かしています。
         
 今一度、自然に親しみ、自然に学ぶことを、あるいは人間の無知を自覚することを、私はインタープリテーションといっています。