二宮金次郎とインタープリテーション

二宮金次郎という名前を聞いても、世代によって、知っていることは違うでしょう。
また同じ世代であって、名前を知っているといっても、「二宮翁夜話」を読んでいるかどうかによっても、知っていることは違うでしょう。
       
 多くの人のイメージは、学校の校庭に立っていた薪を背負い、歩きながら本を読んでいる少年の像の姿ではないでしょうか。
      
 二宮尊徳の弟子であり、娘婿である富田高慶が「報徳記」を書き、その中に「採薪の往返にも大学の書を懐にして途中歩みながら是を誦し」という一文があり、幸田露伴が伝記を書き、その挿絵に薪を背負い、本を読む姿があったから、全国にあの少年像が定着したのかもしれません。
       
 ともかく、一般的なイメージとして定着している薪を背負い、歩きながら本を読んでいる二宮金次郎の像から、インタープリターに関係する色々な話を発展させることができます。
       
 私達は、像を見たとき、「本を読んでいる」(学業)ということに注目してきました。
 視点を変えて、「薪を背負っている」(家業)ということに注目してみましょう。
 木の種類はなんでしょう?どこで伐って来たのでしょう?
          
 金次郎少年にとって、自然は、先ず何よりも生活の糧を得る場所、家業を遂行する場であったと思います。木の名前を知っていることは勿論ですが、知っているだけでは用を果たすことができません。木の名前を知り、用途を知り、再生可能な伐りかたを知っていなければなりません。
 是は当時の農村の少年の常識だったと思います。江戸時代なれば、子供といえども、家業が生活の中心だったのではないでしょうか。
          
 現在の私達、少年にとって、(人間全体から見れば)やはり自然は私達の生活の糧を得る場所ですが、個別的に見ると、多くの人にとって、自然は遊ぶ場所、あるいは風景です。
       
 今、都会の子供たちを山に連れて行って、木の名前を教え、用途を教え、再生可能な木の伐りかたを伝えたとしても、それは、自分の生活には直接結びつかない知識です。そもそも家業に関係なく生きている子供がほとんどでしょう。
         
 インタープリターあるいはインタープリテーションといっても、何を伝えるかは、インタープリター各自に任されています。
      
 「インタープリテーション入門」小学館発行 日本語版への序のなかで
環境庁長官官房審議官 櫻井正昭氏がこのように書いています。
 「インタープリテーションの普及によって、人々の環境に対する意識と行動の改革がうながされ、環境に優しい、持続可能な社会が築かれることを期待しています。」
              
 「環境に対する意識と行動の改革」というのは、含蓄のあることばです。
 家業の担い手として直接自然と関わることの少ない現在の子供(そして大人)にとって、行動の改革とは具体的にどういうことを言うのでしょう。
      
 ともかく、実際に大地に触れ、木に触れることが第一歩ですね。