二宮金次郎と私 まとまりのないメモ

k1s2005-08-02

 私は昭和29年生まれで、自分のことを学生運動焼け跡派といってます。
 中学校三年の時に、東大安田講堂の攻防があり、次の年、東大入試がありませんでした。 
 高校三年生のとき、浅間山荘事件があり、テレビで見ていました。
          
 焼け跡派であっても、私の住んでいる町は紀伊半島の田舎だったので、S高校歴史始まって以来初めて、五月のメーデーの日に、ヘルメットを被って、5人でデモ行進しました。
 その5人は、岩波新書の「社会主義入門」を種本に、勉強会を作っていました。
         
 マルクスエンゲルスの原本を読んだことはないのだけど、唯物史観を信じていた時期がありました。すなわち、様々な矛盾や闘争を経て、人間社会は、やがて、社会主義共産主義ユートピア社会になるのだと。それが科学的な歴史観なのだと。
 
 全共闘の先輩たちのうちある人々は、大学を卒業すると、髪を切り、スーツを着て、企業戦士になりました。
 またある人たちは、ドロップアウトして、田舎や離島で農業を始めました。
 私は、後者の人々のところを訪ね歩きました。
 そして、自らも生まれ故郷で、農業コミューンを作ることを目指しました。
 コミューンを基盤を作るべく、資金を得るために、国鉄に就職したり、漁師になったり、会社員になったりしました。
          
 途中、紀伊半島原発問題が起り、日高、日置川に出かけ、脱原発を訴えました。
 そんな中で、会社員はやってられないと思い、自営業を目指し、柔道整復師の資格を取り、接骨院を開業し、11年がたちました。

 その間、結婚もし、今年末っ子は、20歳になります。
           
 高校卒業以来の30数年を振返って、精神的な遍歴を思うとき、桜沢如一の存在を知ったことは大きかったです。著書、無双原理を読むことによって、自分は、日本人でありながら、頭の中は西洋人と思いました。(時間や歴史は、直線的時間、一方向的歴史しか考えられませんでした)
 からだに関しては、野口体操を知ったことも大きいです。
 次に影響を受けたのは、原始仏教です。一時期、諸行無常諸法無我と唱えつつ日々を送っていました。
 その次に影響を受けたのは、アドラー心理学と、初代学会会長野田俊作氏です。
 心理学と同時に、哲学、論理学、認知学を学びました。
 
 多くのことを端折りますが、時間や歴史は、物理的、存在論的、あるいは部分的には、一方向、直線的に流れていると思いますが、認知論的、全体論的には、時間もまた、循環しているように感じています。
 一方向的な時間・歴史しか感じられないときは、人は苦しむばかりだと思います。
                
  二宮金次郎が著した「三才報徳金毛録」「二宮翁夜話」を読むと、
  構造主義やら、認知論やら、一般的相対性理論がなかった時代に
 一円融合を説かれた二宮尊徳を知り
 今から約200年前に、このような考えの人がいたのか、と改めて驚いています。