西村伊作は、「無宗教」だったのでしょうか?

 ウィキペディアには、<伊作自身は生涯無宗教であった>とあり、文化学院のホームページhttp://bunka.gakuin.ac.jp/にも1946年<無宗教の修養講座「文化教会」を立ち上げ>と書いています。 ここでいう「宗教」とはどういうことでしょう? 伊作は、「無宗教」だったのでしょうか?

 私は、昭和29年生まれです。新宮市の隣の那智勝浦町で生まれ育ちました。青年期の数年間を除き、ずっと「熊野」で暮らしてきました。高校は新宮高校へ通い、その頃、浜畑栄造さんの著書、佐藤春夫の「わんぱく時代」などから、大逆事件と大石誠之助を知り、甥の西村伊作を知りました。

 ウィキペディアには、西村伊作は生涯無宗教であった、とあり、それを鵜呑みにしていました。
ところが、高校の一年先輩である周美さんが、自伝をもとにできた「すべての日々、我に益あり」を歌っていると知り、題名から、果たして「無宗教」であったのかと思うようになりました。

〇私の宗教の定義
  私にとって「宗教」とは、「どう生きるかを考えるとき、拠り所とする最も根源的で、体系的な教え」のことです。 「神」とか「仏」という用語は必ずしも必要ありません。 如何に生きるべきかの論拠において、「この世界の究極の存在は何なのか・存在」について、「この世の一切とは何なのか・関係」について、「人は如何に認識するか・認識」について、当然語ることになります。
 また「死ぬ」とはどういうことか、どう向き合うかについての考えが当然含まれます。

 以上のような私自身のための定義だと、いわゆる「世界観」とどう違うのかということになりますが、世界観と同じといってもいいと思っています。 つまり、ヒトは、無宗教であることはあり得ない、と思っています。
 私にとっての世界観と宗教の違いをあえて言えば、それは「信」だとおもっています。 特別の根拠なしに、原初的・究極的な秩序・美の形成志向を信じるのが「宗教」です。 その「信」は、「不信を含めた信」です。根拠・完成がないという自覚のもとの「信」です。 もしかして、この宇宙には原初的・究極的な秩序・美の形成は永遠にないのかもしれません。 人間には究極的な判断はできないと思っています。 判断できないから、信じる訳です。

        

 さて、自伝「我に益あり」復刻版を読んでみました。 50章からなり、48が、文化学院の再興 49が、宗教と教育 50が、生と死 になっています。そして、424頁には、「文化学院の復興と同時に私は文化教会というものを始めた。これは教会である。けれども今までのどの宗教にもよらない新時代の人の求める教会として作ったカルチュアの教会であって、宗教の儀式とか信条のようなものが何もない。けれども学問や思想や芸術を宗教的の境地へ導くという目的でやる。」と書かれています。
 またさらに
「この教会は私の理想を実現するものであって、私の最後の仕事として私が最も力を入れようとするものである。既成宗教のどの宗派にもよらないけれども、人間は原始時代において既に立派な宗教的の精神を持っている、後世の文明が発達したときの教会における宗教よりはもっと純粋な、そしてもっとほんとうに神をあがめ、自然を讃美する精神を原始時代には持っていた。その原始時代の精神をもう一度復活して、文明の上に立った原始生活、第二の原始生活というものを人間がここに始めねばならぬ、と私は思っている。それで今までの科学も思想も芸術も、そういう宗教的な精神によってやらなければそれに本当の力が与えられず、また人生にその存在価値がないと思う。それなら精神ばかりかというと精神だけでなしに精神と物質との両方の綜合された生活の方法をもっていかに人間が生きるか、この世に生まれて生きている間にいかにすれば最もいい生涯を送れるかということを考える。その全人間生活を考えることが宗教であると私は考えている。(425頁)」とあります。 ですので、私にとって、西村伊作は、無宗教の人ではありません。
 東京の文化学院は2018年3月閉校となります。 熊野に・で 文化学院・教会を♡  阪口圭一

3月10日土曜日 午後1時半より NPO熊野みんなの家で 不良成人学校読書会「西村伊作自伝 我に益あり」を読むを行います。