アール・アート・「呼吸」

 私にとって「アート」とは、「疎外のない生き方」を模索し続けることです。

 この世界、私の人生を、目標と手段に分け、他の人や自然、自分自身を、目標達成のための手段にすることのないような生き方、関わり方を模索し続ける事が、私にとってのアートです。
 少なく頂いて、多くをお返しする生き方を模索すること、とも言えます。

 具体的には、息をすること、調理すること、食べる事、歩くこと、人や自然と関わることなどが、芸術の素材となります。
 それは、他者の注目・名声を浴びる手段としての制作活動や作品所有(顕示的消費)と対比されます。だから、私は農民ではないけれど、宮沢賢治さんの「農民芸術概論要綱」に魅かれます。

 日本の古語の自動詞に「ある」があります。漢字で書けば「生る」。「しかある(然)」。
 その「生る」をもじって、私にとってのアートは、「アール(生る)・アート」です。

アール・アート・「呼吸」
 世の中には、古今東西、健康になるための呼吸法とか、霊性を開発し、悟りを開くための呼吸法とか、「手段としての呼吸法」が,数多述べられていますが、アール・アート・「呼吸」は、呼吸そのものが芸術・応答です。
 岡田式静座法や道元禅師の只管打座と、アール・アート・「呼吸」とは同じではないけど通じているように思います。

 岡田式静座法とは、「岡田虎二郎によって創始された修養法」と、ウィキペディアには紹介されています。 瞑想を実践していると、いつともなくどこともなく知ることになるのが、岡田式静座法だと思います。 大正時代に、多くの著名人、華族、軍人、例えば田中正造徳川慶喜渋沢栄一といった人々が、実践しました。 私も、10年ほど前に知り、正座で出来る瞑想法としてとらえていました。
 それが、今年1月、大石誠之助が新宮市名誉市民の称号を得、甥の西村伊作について色々読んでいるうちに、明治期のキリスト者に対する関心が高まりました。 その中で、田中正造、木下尚江、相馬黒光石川三四郎などが岡田式静座法を実践していたことを知りました。
 田中修司著「西村伊作の楽しき住家」の113頁には、<1901年、我が国最初の無産政党である社会民主党が結成された。この政党の結成に参加した中心メンバー6名のうち5名はキリスト教徒>とあります。 気功文化研究所の津村喬氏のブログによれば、岡田虎二郎の静坐法は、クエーカーと深い関わりがあるようです。

 それはともかく、健康の為でもなく、悟りの為でもなく、呼吸そのものを芸術、世界との応答とする集いを開催します。(毎日行っています。) お越しくださいませ。 2018年4月7日 那智勝浦町市野々3987 NPO熊野みんなの家 「不良」成人学校