人生の大事?

くま 「人生の大事ってなんだろう?」

Kusu 「そのように問う真摯な姿勢は敬服するけれど、そのような問いかけ方だとまるで、私の外側の世界に、客観的な意味があるように考えていると受け取られないかな。」

くま 「実在と認識のことだね。 (ex.EBMとNBM)(データと理論負荷性)」

Kusu 「実在論だけだと、意味や大事を見出すと云うことになるけれど、認識論や構成論のことを考えると、意味や大事は作りだすもの。」

くま 「例えば同じ日、同じ病院のある一室で赤ちゃんが誕生し、周りが祝福している時、その階上では、人が無くなり悲しみにくれていたりする。」

Kusu 「梅雨明けの空澄み渡る癌告知
生まれてきた子どもも必ず人生に悩み苦しみ、亡くなるし、亡くなった人は、回心し天に召されて、人生苦から解放されたともいえるね。」

くま 「生き抜くことに精いっぱいで、慌ただしく日々を過ごし、人生の大事など考えたり創りだしたりすることがなかったりもする。」
 
Kusu 「作り出すにしても、他者があってのこと、かといってみんなで作る訳でもなし」

くま 「じっくり話し合ってみたら、実はお互いが幻想を抱きあっていることしか見えて来なかったり。」

Kusu 「それだけでも大したものさ。少なくとも、実はわかりあえていないことが分かったのだから。
人生の大事って何?と問うのは、あなたの大事と私の大事は同じだね、と確認し、分かりあいたいの? 空海曰く、法は本より言なけれども、言にあらざれば顕われず。 法とか、お互いが大事と思っていることは、言にしようがない、しかし、言にしないことには、関係を育てようがない。 それで、分かりあおうとするのは難しいけれど、響き合えることはできそうに思う。
客観的なデータと主観的な物語が対立してあるのではなく、階層の問題、客観的データは確かにあるだろう。しかし、そのデータを選ぶのはある物語。 ま、冷たいお茶でもどうぞ。」

くま 「ありがとう。 さわやかなお茶だね。 何茶?」
 
Kusu 「紫蘇茶だよ。」
 
くま 「どうやって淹れるの? 紫蘇の葉を乾燥させるの?」
 
Kusu 「それはね・・・・・・・・・・・・・・・