あなたは、自分がこの世を去る時の場面を想像したことがありますか?
しばらくお付き合いください。そして少しの間、想像してみてください。
あなたは何歳になっているでしょう?
そこは、自宅でしょうか、病院でしょうか、車のなかでしょうか、屋外でしょうか?
天気はどうでしょう、晴れていますか、雨が降っていますか?
暖かい日でしょうか、寒い日でしょうか?
朝でしょうか、昼間でしょうか、夜中でしょうか?
そばに誰がいますか、恋人、見知らぬ人、それとも誰もいない?
近くに花が咲いているでしょうか? 鳥が鳴いているでしょうか?
香りはどうでしょう? どんな風が吹いていますか?
痛みはどうでしょう? 痛みが伴っていますか? からだは思うように動きますか?
感情はどうでしょう? 怖い? 寂しい? それとも安心、満足
誰かに何か言いたいですか? でもあなたはもう誰かと話すこともありません。
何かやり残したことがありますか? しかし、あなたはもう関わることができません。
あなたは、そこで起こっていることを、すべて受容し、味わっていますか?
その日が、どのようになるかは、わからないし、自分の思うようになるとは限りません。
遠い先のことではなく、予定などしていなかった日に、突然やってくるかもしれません。
その日はいつか必ずやってきます。それでいて、なかなか想像できなかったりします。
(あるいは、ある日街を歩いていて、頭上に物が落ち、右手以外動かなくなった状態を想像してみましょう。)
別の質問をさせてください。
今の平穏な状況の中で、常に何かを追い求めていて、「今ここで実際起こっていること」を丁寧に味わえていない人が、あるいは欲張りで、腹を立てやすく、無知な人が、人生の最期の場面になったら、心根がやさしくなり、寛容になり、その場面を丁寧に味わうことができると思いますか?
今、あるいは最近の、あなたの気持は如何ですか?
不安や不満足はありませんか? いらいらしたり、怒ったりしてはいませんか?
今一度、あなたが今触れている床を丁寧に味わってみてください。自分の呼吸を感じてみてください。もし床が無かったら、あなたは自分自身を何で感じることができるのでしょうか?もし海や森が創りだした空気が無かったら、あなたは自分自身を何で感じるのでしょう?もし、音が無かったら、風が無かったら、香りが無かったら、光が無かったら、あるいは皮膚が無かったら、筋肉が無かったら、あなたはあなた自身を何で感じるのでしょう?もし、他の人がいなかったら、あなたはあなた自身をどうやって感じることができるでしょうか。
皮膚によってあなたは包まれ、守られています。でも皮膚は、固い城壁ではありません。
外の世界を感じ、繋がるための皮膚です。今、あなたの皮膚や筋肉が感じていることを、丁寧に味わってみてください。
瞑倶楽部 について
100メートル走のような「いとなみ」もあれば
マラソンのような「いとなみ」もある
ジョギングのような「いとなみ」もあれば
そぞろ歩きのような「いとなみ」もある
100メートル走の場合は、始めと終りがある
そぞろ歩きには 始まりなくそして終りもなく
立ち止まり 香りを感じ 目で触れるだけでも喜び
要素論では、100メートル走、マラソン、ジョギング、そぞろあるきを
別のものとして捉え
全体論を生きる人は、別のものとは感じない
あれもよしこれもよし