太極拳舞踏セラピーのご案内

はじめに 
 生まれてからこの方、苦しみを一度も味わったことのない人はいないでしょう。苦しみにも、虫歯の苦しみといったより肉体的な苦しみもあ
れば、人生に意味を見いだせないといった精神的な苦しみもあります。
 仏教では、人間が味わう色々な苦しみを四苦八苦と表現します。四苦とは、生老病死の苦です。愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦を合わせて八苦といいます。
 
 苦しみを解決しようとしているのは、宗教家だけではありません。又、できるものでもないでしょう。私達は、様々な分野で、各人それぞれが苦しみの解決の努力を続けています。現に今、あなたはどうでしょうか?

 私は、青年期に野口体操に出会ったことにより、人生観が大きく変わり、心身一如の世界観の実現を求めてきました。そして今、仕事として接骨院を運営しています。他に、心理学を学び続けてきました。今も通信制の大学に通っています。また、太極拳や瞑想を学び、指導しています。
 今まで学び、実践してきた知恵を、NPO熊野みんなの家を会場に、毎月講座を開催して伝えてきました。今回は、太極拳舞踏セラピーを行いますのでご案内いたします。
 
言語と苦しみ
「初めに言葉ありき」と、ヨハネによる福音書は始まります。ネアンデルタール人が滅び、ホモサピエンスが現在のような文明を築くことができたのは、その口腔の構造の違いから、ネアンデルタール人は高等な言語を持つことができず、一方ホモサピエンスは、言語を持つことができたがゆえにと言われています。
 ネアンデルタール人が住んでいた洞窟からは、壁画が発見されません。一方、ホモサピエンスが住んでいた洞窟からは、壁画が発見されています。「自らのイメージを形に残し、時間と空間を超えて誰かに情報を伝えるという能力」が、ホモサピエンスにはあります。私達人間は、その言語能力により高度な文明を築くことができ、現在に至っています。

しかし、その言語ゆえに、他の動物が味わうことが無かった苦しみを味わうことになりました。
 動物達にも、適者生存や縄張り争いといった生きるための努力と苦しみはあるでしょう。しかし、老いることや病気になるかもしれないといった不安、やがて必ず死が訪れるだろうという不安はないでしょう。失業も差別も詐欺も搾取もないでしょう。戦争もないし、環境を破壊することもないでしょう。生きる意味を問うこともないでしょう。

 疎外という難しいことばがあります。疎外とは、人間が自分の欲望、目標、理想を達成するために、他の人をその道具、手段にしてしまうことを言います。更に、自分自身に対しても、現に生きている今ここを味わうことなく、手段、道具にしてしまい、あくせく、あるいは無感動に生きてしまうことを自己疎外といいます。
 
 どうして人間にはこのような苦しみがあるのでしょうか? それは、文明を築く原動力となった言語の「概念」形成の副作用でもあります。

 私達の日常感覚、常識に照らし合わせば、皮膚の内側が「私」「自我」であり、世界から独立して、実体としての「自我」が存在しているように見えます。学校教育でも、「自我の確立」が大事、と教えたりします。

 また「時間」にしても、一方向にのみ流れていて、人は必ず老いていく、そしてやがて死んでしまう、ということは動かし難い「真理」、「常識」のようにも見えます。一方向へのみ流れるという感覚があり、ともすれば流れていく先のことばかりを思い煩うからこそ、「一期一会」とか「今ここに生きる」とかいう言葉が生まれるのでしょう。
 時間は一方向にのみ流れ、私は世界から孤立した存在で、独りで生まれ、老い、独りで死んでいく存在。
 
 こういった見方が、先ほどの四苦八苦に繋がっているように私は感じています。
 
 私は、永遠不滅の魂の存在とか、輪廻転生を主張しようとしているのではありません。一方向にのみ流れ、やがて死んでいく存在という思いは、芸術を生み出す源泉であると思っています。動かし難い事実だとも思っています。

 私がお伝えしたいのは、時間には「横糸」だけでなく、瞬間瞬間において「縦糸」も通っているということなのです。横糸しか見えなくて、経糸が感じられない時は、人生はただ一本の糸です。私が感じていることは、努力の結果、いつか縦糸が通っているところへたどりつけるのではなく、いつも、どこでも縦糸は通っているということです。(空性)
 曹洞宗の開祖である道元禅師は
「飛去は時の能とのみは学すべからず。」と述べられています。
 縦糸を感じることができれば、時間が一方向へ流れつつも、私は世界という綾錦の無限の布に溶け込んでしまいます。芭蕉のいう「物の見えたる光」を感じ、ゆったりとします。
 
 太極拳の中に推手という練習方法があります。二人1組になって、手を合わせて、相手の動き、気を感じつつ、静かに新たな動きを創っていきます。太極拳は本来武闘ですから、最終目的は「負けないこと」にあったりします。私は、太極拳の推手練習の武闘的傾向を、舞踏的傾向に変換することによって、時間の縦糸(空性)を感じとる瞑想となることを知りました。
 
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 人生には、ゆるしがたいけど、ゆるさなければ前に進めない時も多々あります。
ダライ・ラマ14世は、「許しとは相手を無罪放免にする手段ではなく、自分を自由にする手段です。」と述べられています。からだをゆるめると、ゆるす心とことばが生まれます。
 今回の太極拳舞踏セラピーは、これまで太極拳の経験が無くても参加できます。
 身軽に動ける服装でご参加ください。
日時   11月28日 日曜日 午後2時より
場所   那智勝浦町市野々3987−13 NPO熊野みんなの家
参加費  1000円   申込 那智勝浦町天満823−5 熊野健康接骨院
     0735−52−1969 090−6987−6679