センサリー・アウェアネスを味わって

「自分が変わる」ということに事寄せて
 
例えばここに、最近しっくりいっていない夫婦やカップルがいたとする
 
一人でいる時には、何とか改善したいと思うのだが
いざ実際の場面になると、
やはり対立的、競合的になってしまっていたとする
 
生きるということ、そして人と関わるということは
相手に働きかけ、相手の状態、相手と自分の関係の状態を変えようとすることだろう
 
相手ばかりを変えようとせず、自分が変わらなくてはと
誰かにアドバイスされ、また自分でそう思っていても
実際には、少しはそういうことができても
「我慢」という感覚があったりする
 
さて、どうするだろう?
「相手を変えず、自分が変わる」とはどういうことだろうと悩む
 
「〜であるべきだ」という自分の理想を
「〜であったらいいな」という緩やかな理想に変えて
行動し、発言してみる
 
幾分変化が表れたりするが、
やはり「あきらめ」という感覚があったり
疲れていたりしている時は、余裕が無くなったりする
 
様々な心理療法を学んだ人は、こういう経験があるのではなかろうか
 
センサリー・アウェアネスで、丁寧に呼吸を見つめ、丁寧にからだを感じ
また、他の人に触れる そして任せてみる
更に、「任せられ」てみる
 
そうすると
「はい」という返事 「おはよう」という挨拶そのものが
同じ音素の組合せでありながら、変わっていたりする
 
それだけでなく
非(音声)言語コミュニケーションが変わっていたりする
 
そして、あらゆる関係が変わっていく
 
 
これまで、センサリー・アウェアネスに参加する以前も
呼吸を見続ける生活をしてきたのだけど
 
生涯二度と無いような深い深い味わいや
古代から日本人が歌い続けてきた「あはれ」を体験した