式子内親王

 高校生のとき、冬休みに百人一首をすべて覚えてくる宿題がありました。私にとって、古語や枕ことばは難しく、詠い手の境遇や背景を思い量ったり、鑑賞する余裕もなく、丸暗記しました。
 
 それから数十年、縁あって本居宣長の言葉に触れました。
 言葉には二種類ある。「ただの詞」と「あや」ある詞。
 二種類の言語表現に対応して二種類の表現内容がある。
 ひとつは「ただの詞」の表す「ことわり」、一つは「あや」の表す「あはれ」
 「ただの詞」では表しえないものを語るのが「あや」である。
 「あや」を以って「あはれ」を表す文学形式が和歌である。
 (尼ヶ崎彬著 「花鳥の使」勁草書房より)

 思い起こせばここ数十年、「ことわり」に従って「ことわり」を表現する力を身につけようと邁進してきました。
 「ことわり」に従った「おこない」こそが、「苦」を解決するものだと思って。
 
 長い道のりを経て、どうやら自分は世界の半分以上を見落としてきたように思いいたりました。
 
 紀貫之藤原俊成、定家、心敬、本居宣長の方々が書かれた歌論を通して、自分が見落としていたもの、それを見出す見方などがおぼろげに見えてきました。
 
いずれ歌を詠いたいと思いつつ、それにはまず読むことからと思っています。
 
 いまさらながらのことですが
 式子内親王は、後白河上皇の第三皇女だったのですね。
 藤原定家を援助し、そして決別した後鳥羽上皇は、後白河上皇の孫ですね。
 
定家と式子内親王の関係については、那智勝浦町の観光ボランティアガイドをしていた時に知りました。熊野古道の大門坂に「まさきのかずら」つまりテイカカズラが生えます。
 
 式子内親王の墓に巻きついてあった蔓がこの蔓であったことからテイカカズラといわれるようになり、能にもなったと教わりました。
 
9日から京都のあるお寺で、センサリー・アウェアネスセミナーを受けます。
 
割と近くに、般舟院陵があり、そこに式子内親王のお墓があるようです。
 
永岡慶之助著 「風狂鬼譜 日本名匠伝」の中に 
「宮崎友禅斎」という短編があり、
宮崎友禅斎とお梶が最初に出会う場所として、設定されています。
 
空いた時間にお参りして来ようと思っています。