両手を合わせ、「いただきます」と言ってから食事を始める人は、今どれくらいあるだろうか?
人間は何か食べ物を食べないと生きていけない。
食べ物の手に入れ方から人間の暮らし方を大雑把に分類すれば、狩猟採集生活があり、農耕生活があり、工業を基礎とした分業生活がある。
日本の国土で、狩猟採集生活を行うとしたら、数十万人の人間を養うことが出来るらしい。農耕生活なら、約三千万人になることは、明治時代初期に行った人口調査から推測できる。そして、現在の石油石炭などの化石燃料を基礎とした工業分業生活では、一億二千数百万人が暮らしている。
もし今石油や石炭に頼ることを辞め、自給自足を始めたら、途端に一億人近くの人間が飢えることになるだろう。
狩猟生活での食べ物は、究極的には土と水と太陽の光が生み出したものだろう。
農耕生活での食べ物や生活に使うエネルギー、薪や蝋燭や油も、同じく土と水と光が生み出したもの。
では、現在ではどうか? やはり、食べ物は土と水と光が生み出したもの。エネルギーとなっている石油や石炭、いわゆる化石燃料は、かつての時代の生物たちで、それらはやはり土と水と光で創られた。
今、一億二千数百万人が日本で暮らせているが、言ってみれば、かつての生物たちが数十億年かけてためた貯金を取り崩して暮らしているようなものだ。
貯金の取り崩し生活をいつまで続けることができるのだろうか?
狩猟採集生活、農耕生活、工業生活の変化に伴って、通貨も変化してきた。
今は、電子マネーとやらも存在する。
これもとても大雑把だが、かつて金銀本位制度というような通貨制度があった。金銀の埋蔵量は限りがあり、不換紙幣などが生まれたが、今は、埋蔵量を当てにした化石燃料本位制度であるように思う。(学問的には間違っていると思います。)
アメリカも日本も、紙切れにすぎないものを通貨としてどんどん印刷でき、あるいは銀行創造と称して通帳に金額を記載し、流通させることができるのは、やはり化石燃料があるからではなかろうか?
いつまで続くこの暮らし?
幼い頃、近くの山に遊びに行き、小川でつわぶきの葉っぱを丸めてコップにし、水を掬って飲んだ。
今はとてもじゃないが飲めない。
そういう面では、随分貧しい暮らしになったものだ。
土と水と光、そして他の生物たちが作ったものを食べ物としていただいているのに、
いただきますという言葉が出てこない、
こころも随分貧しくなったものだ。