認知運動療法と感覚遮断実験から思うこと

 私達は、人それぞれが、それぞれの人間観を抱いています。色々な人間観の中に、モビルスーツ型人間観があります。(モビルスーツとは、機動戦士ガンダムに登場する大型ロボットです。ロボット内部の操縦席に人間が乗り込み、大型ロボットを操縦します。)
 この五体・肉体の内側に、独立し輪廻転生する魂・心が宿っているという人間観はその典型的な例ですが、「頭脳」という独立した臓器が、感覚器官・求心性神経から入力された情報・データを参考に思考や判断をし、遠心性神経・運動神経を通して五体を支配しているという人間観もこれに含めていいと、私は思っています。デカルト以後の機械論的・二元論的人間観は、このモビルスーツ型人間観であると私は思っています。
 
 以前から、心理学の領域に、感覚遮断実験という実験があることは読み聞きしていました。実験参加者への実験後のケアが大変で、人道上・倫理上今はあまり実施されていないとも聞いています。というのは、早ければ十数分で、幻覚などが報告されるそうです。リトアニアでは、拷問に使われたとも聞きます。かつて世間を騒がせたある宗教団体も、洗脳に使ったとも言われています。
 
 認知運動療法を知ってから、改めて、感覚遮断実験から「脳」について考えてみました。感覚遮断実験にも色々な方法があるようですが、いずれにしても、感覚入力が遮断されると、実験参加者に変調が生じるということです。短い時間だと、宗教的な体験と似た体験が生じることも報告されていますが、実験時間が一日以上になれば、回復に時間がかかる変調が生じると報告されています。
 
 この報告から私が思ったのは、「脳」は独立した臓器とは言えない、ということです。そして、現象学でいう「志向性」を思いました。現象学では、「意識」とは例外無く「何かについての」意識であるといいます。つまり「意識」がまず存在し、その後で対象が確認されるのではなく、「意識」と相関者(対象)が常に相関関係にあるといいます。
 私は、現象学は、心身二元論を克服しようとして、克服しきれていないと思っています。
 
 ともかく、認知運動療法を知ってから、感覚遮断実験のことを考え、そこで思ったことは、私を私たらしめているものは、私の脳だけではなく、また私の体だけでもなく、私の今いる部屋や馴染みの家具や道具だけでなく、また私の周りにいて私にかかわっている人々だけでなく、私の故郷だけでなく、一切の関わりなんだということです。
 
 ヘーゲルマルクスは「人間は、社会的諸関係の総体」と言いましたが、私は、社会的、自然的諸関係の総体だと思っています。
 
 独りゆく旧参道や木の芽風 阪口水亭